多くの人は、人間は肉体と霊魂によってできていると考えています。そして、死んだ後、霊魂が残って、死者は霊の世界で意識が存続していると考えています。 そして、死者は生きている人のために良いことをしてくれたり、災いをもたらしたりすると考えています。また、人が死んだ後崇拝されることがよくあります。
聖書は、死者はどんな状態にあると教えていますか。また、死んだ人々にはどんな希望がありますか。私たちは死者に対してどのような態度をとるべきですか。
聖書は、人が創造される前は存在していなかったと述べています。聖書は、エホバ神が最初の人間をこのように創造されたと説明しています。「エホバ神は地面の塵で人を形造り、その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった。」(創世記2:7)
ですから、聖書によると神は人間を地面の塵つまり土の諸元素から造られました。そして、神はアダムが罪を犯した時に、「あなたは・・・ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る。」と言われました。(創世記3:19)
Soil Pores in Healthy Soil by NRCS Soil Health(soil1)
人は死ぬと土の中の諸元素になり無意識・無存在になります
聖書は、人体の材料が、「地面の塵」すなわち土の中の諸元素だと述べています。このことは真実でしょうか。あるサイトによると、人間の体重の95%は酸素、炭素、水素、窒素が占め、残りの5%は約20種類もの元素です。文部科学省と厚生労働省のデータによると、人間の肉体には少なくともカルシウム、 鉄、 リン、 マグネシウム、カリウム、ヨウ素、マンガン、セレン、クロム、モリブデン、ナトリウムという元素が含まれており必須です。
そして、土の中には、それらの元素がすべて含まれています。土壌中には炭素、酸素、水素という元素が含まれ、またミネラルがケイ素、アルミニウム、鉄、カルシウム、カリウム、ナトリウム、マグネシウムの順で多く含まれています。その他マンガン、リン、硫黄、チタンを含めて土壌の主成分元素といいます。他にも、人体の成分であるヨウ素、クロム、モリブデンも土壌の成分で、鉱物や植物に多く含まれています。ですから、確かに、人体は土の中の諸元素によって構成されています。
エホバはアダムを創造された時に、「鼻孔に命の息を吹き入れられた」と述べられています。(使徒17:25)エホバがアダムに与えたのは、命を伴う息です。神は、彼の鼻孔から 空気を吹き入れられ、呼吸を始められました。そして、同時に命を与えられました。人間の命は、「鼻孔」を通して行なわれる「息」すなわち呼吸によって維持されています。ですから、人間の命を始動させたのは、エホバ神です。
呼吸 by 陳好酸 The Lives I lived(breathing)
人間の命は呼吸によって維持されている生命力に依存しています
人間に呼吸を始めさせ生命力を与えたのはエホバ神です
詩編には「あなたがその霊を取り去られるなら,彼らは息絶え,その塵に戻って行きます。」とあります。(詩編104:29)この聖句の霊とは霊魂ではありません。霊とは、ヘブライ語でルーアハであり、「活動する力」という意味があります。ですから、「霊」とは人格を持つものではなく、「霊」は生命力もしくは命と言い換えることができます。呼吸が止まって、「霊」すなわち 命を維持する「活動する力」が人間から失われるなら、人は無生物の地面の塵になります。人は死ぬと、単なる土の中に見出される諸元素になり無意識になります。(伝道の書8:8)
幾つかの聖句が、このことを裏付けており、死んだ人が意識や感情を持っていないことを示しています。「死んだ者には何の意識もな(い)」と述べ、また死ぬと、「その愛も憎しみもねたみも既に滅びうせ(る)」と述べています。(伝道の書9:5,6)
それで、死後霊界に死者の霊魂が存続しているということはありません。死者は、生きている人のために良いことをすることも、悪いことをもたらすこともできません。
遺影 byid:takefumi(deadpersonpicture1)
死者は生きている人のために良いことも悪いこともすることができません
さまざまな人々が死後崇拝されることがあります。ある人々は、国のために戦って死んだために、その犠牲が尊いと考えられています。しかし、神にとって人の命は大変貴重です。ですから、無実の人の命を奪うならば、それは神にとって忌むべきことです。ですから、無実の人々の命を奪った人をあがめるのは正しいことだとは言えません。また、たとえそれらの死者を崇拝しても、死者は生きている人のために何もしてくれるわけではありません。
(tojyo1)
生きている人のために何もできない死者を崇拝するのは無意味です
ある人々は、死んだ人が霊界に存在している証拠として、心霊写真や、死んだ人の声が聞こえるということをあげる人がいます。しかし、聖書によると悪霊は人々が死んでも生き続けていると信じさせたいと望んでおり、さまざまなことをしています。悪霊は、人に光体を見せることができます。(マタイ2:1,2。申命記18:10-12)悪霊は人に声を聞かせることができます。(ヨブ4:12~15)サタンや悪霊は人に不思議なしるしを見せることができます。(テサロニケ第二2:9)それで、死んだ祖先を崇拝することは、実際には悪霊を崇拝することを意味します。(コリント第一10:20)
The Ghost of the Sainte Claire Hotel by eschipul(ghostphoto)
心霊現象は人魂は死んだ人の現われではなく悪霊の仕業です
では、死んだ人にどんな希望があるのでしょうか。聖書は「義者も不義者にも復活がある」と述べ、人間に命を与えた創造者が、 死者を地上に復活させる時が来ることを約束しています。(使徒24:15)その時には、地上は楽園になっており、国家の障壁はなくなり、戦争はなくなっています。復活した人々は、神のご要求を正確に知ることになります。
a hug for happiness by flequi(hug5)
地上の楽園では死者を復活によって迎えることになる
それで、聖書は、この復活の希望を知らない人々のように過度に悲しまないようにと述べています。そして、死んで土に帰る人間を崇拝するのではなく、人間に命を与える創造者を崇拝するようにと勧めています。聖書は実際、崇拝は神にのみ属すると述べています。(マタイ4:10)人間は必ず死ぬ存在であり、死んだ後は復活するまでどこにも存在していません。私たちは、永遠に生きておられ人間を含めてすべての生き物に命を与えまたこれから与えることができる全能の創造者エホバ神だけを崇拝しましょう。
[関連する記事]
伝道の書12章・霊がまことの神のもとに帰るとは?(新世界訳)
[はてなダイアリーの最近の更新]