今回、パウロの手紙の別のあて先になっているガラテア、エフェソス、フィリピが実在する場所であることを確認したいと思います。
パウロが手紙を書いたガラテア州は、カパドキア,ビチニア,ポントス,アジア,パンフリアなどのローマの属州と接するトルコの中央高原地帯でした。(ペテロ一 1:1)当時のガラテア州にはイコニオム,ルステラ,デルベなどのルカオニアの諸都市,ならびにピシデアの都市アンティオキアが含まれていたと言う人もいます。(使徒13:14;14:1,6,7)
ガラテア州はトルコの中央
パウロは第1回宣教旅行の際,それらの都市にクリスチャン会衆を組織しました。ガラテアはアンキュラ(現在トルコの首都アンカラ )を首都としていました。ガラテア州のルステラは、Klistraという名のコンヤ地方の村であるという人もいます。
Ankara Views by peretzp
ガラテア州の首都アンキュラは現在のトルコの首都アンカラ
トルコのガラテア州のルステラ
Klistra
エフェソス(Ephesus)は、アルテミス 崇拝で知られたギリシア人都市でした。聖書はパウロがエフェソスに滞在した時、そこにアルテミス神殿や劇場があったと述べています。(使徒19:27,29,31)エフェソスは、トルコ 西部にあり、現在のイズミル県 のセルチュク 近郊に位置しています。現在はトルコ語 でエフェス(Efes)とも呼ばれます。現在残るアルテミス神殿の遺構はローマ時代に建てられたとされています。
エフェソスの劇場
使徒パウロが第2回宣教旅行を行なった時,フィリピはギリシャの「マケドニア地区の主要都市」で、ローマの「植民地」でした。(使徒16:11,12)同市は東マケドニア,エーゲ海の北端に位置していました。トロアスから船で来たパウロは,フィリピの海港の町ネアポリスに上陸し,その後フィリピに行きました。西暦前四世紀にマケドニアのフィリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)によって創建されました。現在の都市フィリッポイ は、昔の遺構近くに位置しています。
パウロの時代にフィリピは、経済的に繁栄しており、ギリシア風のアゴラ(広場)や、ローマ風のフォルム(広場)、ローマ風の競技会が行われる円形劇場があり、ローマの市民権が高く評価されていました。(フィリピ3:20。使徒16:26,27)ラテン語の碑文が多く出土します。しかし、14世紀 にオスマン帝国 に征服された後、廃れてしまいました。
PeterNelson フィリピの遺跡
パウロが手紙を送ったトルコのガラテア州とエフェソスとギリシャのマケドニアのフィリピは、確かに実在する場所でした。それらの場所に書き送ったパウロの手紙は、真剣に考慮するに値します。
2013年6月には、トルコ各地で、7月時点で、トルコのイスタンブールで反政府デモ隊と警察の衝突が起こっていました。現地を確認したい方は、十分安全を確認してから行かれることをお勧めします。
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