エレミヤ32章・続 アンモン人の忌むべきモレク崇拝 | ヨハネのブログ

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I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
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「いまわたしはこの都市をカルデア人の手とバビロンの王ネブカドレザルの手に渡す。彼は必ずこれを攻め取る。・・・それは、イスラエルの子らとユダの子ら、・・・がわたしを怒らせようとして行なったすべての悪のためである。・・・彼らはヒンノムの子の谷にあるバアルの高き所を築いた。自分たちの息子や娘をモレクにささげて,[火]の中を通らせるためであった。」(エレミヤ32:28,32,35)


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モーセの律法の中では、モレク崇拝を行なって子供を犠牲としてモレクに捧げるならば、死が定められていました。ところが、ソロモン王はエルサレムでアンモン人のモレク崇拝を始めました。ソロモン王は子供をモレクに捧げるということは行なわなかったようです。

しかし、背教したイスラエル人は、十部族王国とユダ王国の双方で自分の子に火の中を通らせました。(列王第二 17:17,18。エゼキエル 23:4,36‐39)南の二部族のユダ王国では、アハズ王とその孫のマナセが両者とも、残忍にも自分たちの子供を生きたまま犠牲としてささげて焼くといったことを率先して行ないました。(列王第二 16:3; 21:3,6)ですから、ユダは、とりわけアハズ王やマナセ王の時代にモレク崇拝に陥っていました。

子供の犠牲をささげる点でこれらの王たちの行為が刺激となって,この慣行は一般のイスラエル人によっても行われるようになったようです。(エレミヤ 7:31; 19:4,5; 32:35。 エゼキエル 20:26)また、子供たちが生きたままではなく、まず最初に殺されてから犠牲として捧げられるということもありました。(エゼキエル 16:20,21)では、エホバはアンモン人のモレク崇拝に対してどのように対処されたでしょうか。

ます゜、エホバはモレク崇拝を行なう北のイスラエル十部族王国をアッシリアによって滅ぼしてしまわれました。(列王第二 17:17,18)エホバはモレク崇拝に対して断固とした態度をとられたことが分かります。このことは、南のユダ王国に対して、警告になったはずです。

しかし、南のユダ王国は、懲りることなくモレク崇拝を続けました。それで、エホバはヨシア王の治世の初期にユダで預言した預言者ゼパニヤを通し、「マルカム[モレク]にかけて誓いを立てている」者たちを糾弾されました。(ゼパニヤ 1:1,5)

また、エホバは預言者エレミヤを通し、トフェトで行なわれていた崇拝、つまりモレク崇拝を行なっていた者たちを滅ぼすと予告されました。(エレミヤ 7:31,32)預言者エレミヤは,ユダの王ヨシヤの治世の第13年に,預言者となるよう召されました。(エレミヤ1:1,2)

ですから、ユダのヨシア王は、預言者ゼパニヤや、預言者エレミヤの預言に動かされたのでしょう。ヨシヤ王は、ヒンノムの子らの谷にあるトフェトを礼拝のために用いられなくしました。「だれも自分の息子や娘を火の中を通らせてモレクにささげることがないようにするため」でした。(列王第二 23:5,10)ヨシヤ王は、モレク崇拝とそれに関連した偶像や、霊媒などの心霊術を一掃しました。(列王第二 23:24)ですから、エホバは預言者たちを通して、またエホバに忠実なユダの王を通して、モレク崇拝やそれに関連した忌むべきものに敵対され、撲滅するための努力を払われました。

しかし,それによってこの慣行が永久に撲滅されたわけではありません。ヨシヤの死後16年たったころに預言者としての奉仕を始めたエゼキエルは、「自分たちの子らに火の中を通らせる」という慣行が、自分の時代に生じていたと述べています。(エゼキエル 20:31)

そのためエホバは、悔い改めることなくモレク崇拝を続けるユダがバビロンによって滅ぼされるようにされました。エレミヤは、このように預言しました。「『いまわたしはこの都市をカルデア人の手とバビロンの王ネブカドレザルの手に渡す。彼は必ずこれを攻め取る。 そして,この都市と戦っているカルデア人が必ず入って来て,この都市に火を放って燃え立たせ,これと家々とを焼き払う。』(エレミヤ32:28,29)エレミヤの預言どおり、エルサレムとユダは西暦前607年にバビロンによって滅ぼされ、エルサレムとユダの中での、モレク崇拝とその犠牲は一掃されたようです。聖書の中には、それ以降、モレク崇拝に関する記述はありません。

また、モレク崇拝を行なうアンモン人はどうなったでしょうか。ゼパニヤはアンモンについて次のように預言しました。「モアブはソドムのように,アンモンの子らはゴモラのようになる。いらくさの所有する所,塩の坑,荒れ果てた所となって定めのない時に至るのである。」(ゼパニヤ2:9)ゼパニヤの預言どおり、今日アンモン人は国民としては存在しません。アンモン人のモレク崇拝は一掃されてしまいました。エホバ神はモレク崇拝に対して、徹底的に敵対されました。

エホバは、子供たちを火で焼いてご自分に捧げるというようなことを、考えたこともなかったと、述べておられます。「彼らはヒンノムの子の谷にあるバアルの高き所を築いた。自分たちの息子や娘をモレクにささげて,[火]の中を通らせるためであった。そのようなことをわたしは彼らに命じもしなかった。また,ユダに罪を犯させるためにこの忌むべきことを行なうことは,わたしの心に上りもしなかった」。』(エレミヤ32:35)

それで、エホバは子供を火で焼いて捧げるというようなことを是認される方ではありません。また、エホバは人間を永遠の火の責め苦に遭わせるという地獄のような所を創造されるような方ではありません。エホバにとって残酷に人に燃える火の責め苦を与えるというのは、忌まわしいことです。私たちは、エホバが残酷なことに徹底的に反対される方であると理解することができます。また、私たちは、エホバ神が憎まれるモレク崇拝のような火の燃える責め苦を与える地獄の教理を信じて、エホバを卑しめるようなことをしないようにしましょう。


※モレク崇拝とはどのような崇拝か、イスラエル人がどのようにモレク崇拝に陥っていたかは、「レビ18章・アンモン人の忌むべきモレク崇拝 」をお読みください。



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