相談じゃないんかいっ!?・・・他人(ひと)の問題、課題は なぜに 魅力的なんだろう | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

東洋医学と西洋医学を融合し
陰陽五行理論とからだの反応をもとにした
キネシオロジー(筋肉応用学)を使って
無意識のからだのストレス反応を
意識的に変えることで
気づきと健康に役立つサポートをしています

夕暮れどき

 
娘が 私の目の前に 座ってきた
 
 
‥‥どうした?
 
 
「あのね、履歴書にね‥‥」
 
 
‥‥就職活動のかい?
 
おおっ、これ 話を聴かんといけんやつじゃん??
 
よっしゃ! 
 
 
母、手を止めて
 
娘に 向き合う
 
 
「履歴書にね、長所と短所を書かんといけんのんよ
でもね、自分で想い浮かんだ短所がね
マジでヤバイやつばっかりでね
これ書いたら (落とされそう)‥‥でね‥‥」
 
 
‥‥何、何?
 
短所からの、長所に持っていけばいいんじゃん?
 
え? ここ 母の意見を言うところ?
 
 
「でね、ともだちに 聞いたんよー
 
『(私の短所を)ずばっと 教えてくれん??』
 
ってね
そしたらね、
 
『こういうところが あるじゃん?
こっちからしたら、こんな感じがするよ?』
 
とか
 
『こういうとき、こうするじゃん?
自分にも相手にも こんな感じじゃん?
それって、こっちからしたら こう見えるよ?』
 
って 教えてくれたんよ
 
『それ いいわ、ありがとう!』
 
って なってね
 
みんなで  (お互いに)言いあいこしたんよ」
 
 
 
‥‥えっ? 終了?
 
 
「‥‥っていう、話?」
 
 
「うん♪」
 
 
 
‥‥相談じゃなくて?
 
母の出番は??
 
 
あ゛ー、拍子抜けする‥‥
 
 
 
それにしても
 
最後まで 黙って 聴けて
よかったわ
 
 
 
「私、何とかいたしますよ!」
 
モードに 突入しかけるところだった
 
 
 
他人(ひと)の問題、課題って 
 
なんて魅力的なんだろう
 
 
ついつい、その人の問題なのに
 
横から奪って
 
大きなお世話をしたくなる
 
 
自分の問題、課題は
 
おっくうだったり、苦手だったりするのか
 
他人(ひと)のお手伝いをしてる風なことを言い訳にして?
 
後回しにして 逃げることもある
 
 
 
 
 
私が 幼稚園に通っていた頃
 
遠足の思い出を それぞれお絵かきをするという、
時間があった
 
私は そうそうに描き上げたらしく
ひまをもてあましていたらしい
 
同じクラスの、お絵かきの上手な女の子が
まだ 仕上がっていないことに
気が付い(てしまっ)た
 
その子のそばに行って
その子の魅力的な絵が出来上がっていくさまを
見ていると
 
その子が描いている情景のなかに
「トンネル」がないことに 気が付い(てしまっ)た
 
親切ごかしに
嬉々として
「トンネルがないじゃん! かいてあげる!」
 
あろうことか
その子の描いていた線路の上に
ぐるぐると 黒いクレヨンで
へたくそなトンネルを 描きいれてしまったのだ
 
トンネルがあろうが、なかろうが
事実に基づいていようが、いなかろうが
そんなこと どーでもよくて
 
その女の子は
大切に描いていた絵を台無しにされて
泣き始めてしまった
 
・・・そりゃあ、そうだ
 
その一部始終を見ていた
女の子数人が
これまた親切に
先生に 言いに行ってくれた
 
「先生、たえちゃんが・・・!!」
 
自分の為してしまったことが
どういうことなのか
よくわかっていた私は
恥ずかしさで 真っ赤になった
 
 
 
他人(ひと)の問題、課題に
余計なことをするということは
40年前に私がしてしまった、このできごとと
変わらないんじゃないか?
 
大人になった今なら
一見、親切に見えたり 愛情に見えたりするかもしれないが
 
そのひとの求めている答えは
そのひとにしかわからない
 
そのひとの大切なものを
奪うことで
私を満たそうというのか?
 
 
 
幼い頃
恥ずかしさで 真っ赤になったというのに
私は 懲りずに、気づかずに
似たようなことを 何度もくり返している
 
 
 
とりあえず、今回の娘のことは
かろうじて セーフ・・・だったかな