続・続 人間機雷 379  | 酒場人生覚え書き

続・続 人間機雷 379 

第七章 蒼穹遙か
一  巨星落つ
1 情縁(15) 


坂の下ににじむ家々の明かりがみえる窓際に座り、飲み干した茶碗の底を見つめながら、過ぎ去ったその歳月の流れをたどっていた秀敏に「秀ちゃんきて」と聴き取れないほどの小声が聞こえた。
我に返ったように振り返ると、小さな常夜灯の薄ぼんやりした明かりの中に、肌襦袢になった妙子が横たわって居るのが見えた。
秀敏のどことなく躊躇いがちの思考がとまり、長い禁欲生活から解き放された欲情が生きもののように全身を駆け巡り、動悸だけが頭の中で鳴り響いた。
秀敏は妙子に添い寝をするように横になり、「妙ちゃん」とかすれ声で言いながら、その身体をそっと抱きしめた。
妙子はもどかしげに秀敏のシャツのボタンを外し、手荒く剥がすように脱がせると肌身に爪を立てるようにしがみついてきた。
ふたりとも無言のまま衣服をむしり取るようにすると、確かめ合うかのように互いの肌をかき抱いた。
「逢いたかった」秀敏がつぶやくように言うと、妙子はその両頬をはさみ持ち、そっと唇を寄せ「わたしもよ・・・・」応えたが、その眼には常夜灯の薄明かりの中に小さく光る涙が浮かんでいた。

 

                                  

いとなみは、途中から貪り合うような激しいものになった。
妙子はむさぼるようにもとめ続け、秀敏は自分でも予期しないような激しさでそれに応えた。底の見えない愛欲の深みに落ちて行ったのは、歳月の空白がもたらした渇きと、二人のさだめない行末が指し示している不安のせいだったかも知れない。
秀敏も妙子も、人知れず心の中に抱えるその空虚を、相手から奪うもので満たそうと、身もだえていた。
終戦直後、妙子とその両親に絶望し、どこにも寄る術もなく白神一家に身を寄せた秀敏だったが、三下奴の身であっても女の味はそこそこ知った。しかし、昭和24年暮れに心身を鍛えるためにと至誠館に身を置くようになってからというもの、己の欲望のすべてを封印するような歳月を送ってきた秀敏にとって、妙子の濃密な接し方は想像もできないものだった。 
妙子は終戦とともに進駐してきた米軍黒人兵数名から陵辱を受けた。
16歳にしてまだ未開花の花心を踏みにじられたのである。
その難儀をいたわってくれた日系二世の米兵と、2年ほどの結婚生活を送り、離婚後浅草に流れ花柳界に身を置いたことはすでに述べた。
芸子時代の妙子が成熟した女として否応なしに磨かれたのが、秀敏とも因縁の深い鬼塚義城に囲われたことに寄るだろう。そして秀敏と再会することによって、その魔手から逃れるようにして横浜に逃げ帰ってきた。
それから孤閨を守っての5年間は、独り身を揉むほどの寂しさと、いつ会えるかも定かではない秀敏の面影を追い求め続ける孤独の時間でもあったのだ。
だから満たされながらも、どこかしら苦行を思わせる時の流れであった。
妙子は幾度も闇に裸の手を這わせた。それはおのれを深く満たしつつあるものの存在を確かめているかのようだった。
そして、あくことのない長い抱擁のあとについに満たされたことを告げる叫びを洩らしたときも、その声は苦行の成就を告げる苦痛をふくんでいなかったとは言えない。
妙子は、秀敏が身体をはなして横になると、ふと我を取り戻したかのように、常夜灯の薄ぼんやりとした明るみに眼をこらした。
その灯りの中に秀敏を見極めると、そっと体を寄せ秀敏の胸に顔を寄せ、静かな呼吸を繰り返した。

                                     続 

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