続・続 人間機雷  377 | 酒場人生覚え書き

続・続 人間機雷  377

第七章 蒼穹遙か
一  巨星落つ

1 情縁(13) 


 「深味にはまっちゃいけない・・・・なんて、どうしてそんな他人行儀なことが言えるの?悲しくなるからそんな言い方やめてよ。ずっと前にも言ったけど、ママゴト遊びをしている頃から“私は秀ちゃんのお嫁さんになるんだ”ってずっと思っていたの。だから秀ちゃんが予科練に志願して出征したときは、本当に悲しくって何日も泣き暮らしていたのよ。戦争が終わってあの焼跡で、秀ちゃんに会えたときのうれしさは、誰にも分かってもらえないほどだった。あの時にも子供じみていたかもしれないけど“運命の赤い糸”は切れていなかったって、それはそれは有頂天になるぐらい嬉しかったの」
「そうだったよなあ。突然の敗戦で予科練を放り出され、家に帰ってみれば跡形もなくなっていた。そんななかで身も心もボロボロだった俺が、かすかな希望の灯らしきものを感じたのは妙ちゃんに会えたからだった。それまで死ぬことだけを考えていた俺が、生きていて良かったと思ったのもそのときだよ」
「でも、神様はとんでもない意地悪をしたわ・・・・私がたどってきた人生のあらましは秀敏さんも知っているでしょ」
「もうそのことは言っちゃあいけないよ。過ぎたことだから」
「でもね二度と秀ちゃんとは会えないと思って生きていたのに、浅草 で巡り会うことができたのは、きっと神様がそんな私を憐れんでくれたのだと今でも思っているの」
声を詰まらせ泣きじゃくる妙子は、もう二度と離さないとでもいうように必死の力を込めて秀敏にしがみついた。


「だから今度逢うことができたら、どんなことがあっても秀ちゃんについていこうと心に決めていたの。お父ちゃんもお母さんもわたしの過去を知っているから、わたしを幸せにしてくれるのは秀敏さんだけだと、思っているのよ。泊まっていって欲しいのは私だけでなくって、両親の思いでもあるのよ」
「それは俺にも分かるような気がするし、妙ちゃんと結婚して、ご両親を安心させてあげたいとこころから思っている。でもそれにはもうすこし時間が欲しいんだよ。いまはまだ身の処し方も定まっていない風来坊のような俺なんだ。国松はさんに連れられて妙ちゃんやご両親に会えたのも、今月初めに殺された浅草の恩義ある方の葬儀のために、甲州の山を下りてきたことがきっかけだった」
「浅草の恩義ある方ってどなたかしら」

 

 

「そうか、妙ちゃんは浅草が長かったんだよなあ。浅草に縄張りを持つ老舗の一家、小津組の五代目小津政吉さんて方なんだけど、おれが白神一家にゲソ付けしたばかりの頃からの縁があって、その後もいろいろとお世話になった方なんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。いま小津さんが殺されたっていったの!」
妙子が叫ぶように言った。
「そうだけど、浅草小津組の五代目小津政吉さん」
「信じられない」
「妙ちゃんは“浅草妙清寺事件”って新聞で見たことないかい?」
「知らない」                                               
「同じ組の兄弟分が親分の葬儀の席で、殺し合いをした事件だけど、その事件に関わったとして、どちらかの残党に殺されたんだろうと警察も推測してるらしいけど、まだ犯人も捕まってないんだよ。ところで妙ちゃんと小津さんはどんなつながりなんだ」
「つながりなんてものじゃない。浅草の花柳界はずっと前から何かにつけて小津組の庇護を受けていたらしいわ。先代が戦死してから、一時は小津組も看板を下ろしていたけど、昭和26年に政吉親分が五代目を襲名し、小津組が再興してからは、昔からのしきたりが復活したばかりなのよ。稼業のひととは思えない温和な方で、先輩姐さんたちの人気者だった。わたしも駆け出しの頃から何度かお座敷に呼んで頂いたし、秀敏さんと偶然会えたのも小津組の宴会場だったゃない。信じられない・・・あの政吉親分が殺されたなんて」
「奇しき縁だなあ。ふたりとも政吉さんのお世話になってきたなんて」
「ほんとにそうだわ。秀ちゃん政吉さんの冥福のため献杯しましょ」
「そうだな」
一度は片づけた一升瓶から、湯飲み茶碗に注いだ酒を掲げると「政吉さんに献杯」小声で唱え一気にあおった。

                                                                      続 

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