どんど焼き | 酒場人生覚え書き

どんど焼き

故郷の旧友達と遅まきながらの新年会をやるために、この連休に帰った。

その折、車で通りかかった道路沿いの休耕田に、枯れ木や松の枝を高々と積み

げ、周囲は太く長い竹で囲われ、しめ縄が張り巡らされているのを観た。


「アレはなんだろう・・・・」

と思いながら通り過ぎ、しばらく経って“ドキッ”とするほど懐かしい想い出が蘇った。



   東京・羽村市HPからお借りしました。



お正月が過ぎると子供達にはもう一つの楽しみがあった。

小正月に行われる“どんど焼き”である。


ちょうど今頃の午後、子供達は学校から帰るとすぐさまリヤカーを引っ張り出し、村中

を一軒一軒廻っては、取り外された門松や正月飾り、煤払いで出た前年のお札などを

集めては、借り受けた村はずれの休耕田に運んでいくと、待ちかまえている青年団の

人達が、手際よく積み上げていく。

高さが足らないといま一度、村中に追いやられ枯れ木などを集めさせられることもあっ

た。


その四方に御幣を飾った竹をたて、夜になるのを待つ。

山梨でもその頃は必ずと言っていいほど雪が降った・・・・その雪明かりのなか村人が

三々五々と集まりやがて火が付けられる。

辺りの雪を紅く染めた炎は夜空に向かって吸い込まれていくほど激しく燃えさかる。

かざす手が火傷をするように熱い。

隣村の“どんど焼き”の炎がどれだけ高く大きく夜空を照らしあげているかも、青年団

人達の気になるところで、真っ暗闇のなかであちこちに遠く見える炎の勢いに一喜

一憂するのだ。


子供達は書き初めをその炎の中に投じ燃えながら、舞い上がる高さによって手が上

がるのを祈り、ついでに成績の上がるのを祈った。

やがて炎の勢いが弱まり熾火(おきび)になったころ、小枝に刺した紅白の餅を焼い

て食べる。

その香ばしさが今でも口の中に蘇る。

その“どんど焼き”が終わると、子供達はひたすら春の来るのを待ち続けるのだ。



子供の頃あんなに楽しみだった“どんど焼き”なのに、車の中から観たとき記憶に結

びつかなかったのは、ただ単に衰えた記憶だけでなく、故郷をグルリと取り囲む甲斐

連山が、あの頃と全く違いその頂に一片の雪すら乗せていないせいかもしれない。


どんど焼き”は雪の夜が似合う。