ストークと言う酒場
その夜に限って九時も廻ろうとするのに、お客はだれ一人として来店がない。
夕刻から降りだした雨のせいかもしれない。
グラスも酒瓶もピカピカに磨き込んだし、カウンターももう幾度となく拭いて照明をに
ぶく照り返している。
そんな時だった。見知らぬ中年の男が、夜だと言うのにサングラスをかけたまま入
ってきたのは・・・・。
店内を一瞥してからカウンターに座った。
「マルガリータ・・・、テキーラはそこの“エラドゥーラ”使ってよ・・・」
小さく流れるジュリエットグレコの物憂い歌声をかき消すように、岡峰君の振るシェー
カーの小気味よい音が響く。
グラスの縁の塩を少しばかり手でぬぐい落とすと、ゆっくりと口にはこんだ。
三杯目を注文したとき「この酒には思い出があってね・・・・」と独り言のように話し始
めた。
十五年ぶりに日本に帰ってきて、まずめざす店を探したのだが跡形も無くなっていたし
[ストーク]という名前のバーがあった事すら知らないと言う人達ばかり。
諦めて帰ろうとしたのだが、思い出の関内で、思い出のカクテルを飲んで行こうと立ち
寄ったのだという。
「えっ!そのストークってバー行った事ありますょ。確か年老いた小太りのバーテンダ
ーがいた店ですよネ」
「そうです!そうです!あの親父さんの消息知りませんか!」
ほとんど中腰になって掴みかからんばかりである。
浮き沈みの多いこの業界である、もとより知るよしもない。
家人にも見放された不良少年を息子のように慈しみ、かつ一人前のバーテンダー
に育て上げようと、熾烈なまでに厳しく教え込んだその親父は、日本郵船の外国航
路のバーテンダーだったという。
サンフランシスコが自分に取って[夢の国]となったのもその親父さんの思い出話
によるものだったらしい。
なけなしの財布からの餞別は、片道の旅費にも満たなかったけれど、親身に勝る
親切にただ泣けてしかたなかった。
必ず一人前になって恩返しをします・・・・と約束をしてから十五年。
どうにか実業家として成功するまでには様々な経緯があり、夜と言えどもサング
ラスを放せないのは「このせいさ・・・・」。
サングラスの下から覗いた片方の眼は傷つき白濁していた。
そこにいうに言われぬ苦闘の日々を見た。
マルガリータは旅立つ前夜二人だけの送別会にその親父さんが振ってくれたと言う。
「一人前になったらトビッキリのマルガリータを二人で飲もう・・・・ベースにはエラドゥ
ーラを使ってナ」
当時このエラドゥーラは容易に得難いテキーラであったらしい。
その客は帰った。
帰り際、想い出したようにコートのポケットから紙包を取り出し
「これ飲んでょ・・・・親父さんとヤルつもりだったんだけど・・・・遅かったみたいだ」
紙包みの中は人肌に温まった『エラドゥーラ』だった。
心なしか扉に向かう背中が泣いている様に見えた。
外は雨から雪に変わった寒い夜の出来事だった。
これもまたはるか昔になってしまった“ステラ時代”のセピア色の想い出・・・・
【エラドゥーラ】
メキシコの代表的な酒はテキーラ。
コロンブス 以前に高度の文明を作り上げた先住民族が作り だし、今日に伝わる
メキシコ独特の蒸留酒「メ スカール」のうちでも、ハリスコ州テキーラ郡で作られ
た良質のもののみに与えられた名称が「テキーラ」である。
エラドゥーラ社は、ハリスコ州アマティタンに 本社を持つテキーラの名門である。