酒虫の話 | 酒場人生覚え書き

酒虫の話

常連さん達もお正月に飲み過ぎたのか、年が明けてからひっそりとした夜が続い

ている。

そんな某夜、KさんとYさんを相手に酒の話や同年代共有の思い出話を肴に、酒を

酌み交わしていた。


酔いもほど良くなってきた頃には、酒肴としての話題も途切れがち、そこで・・・・

やぁ私の知ってる“人間と酒の関係”で、大変すっとぼけけた話のくせに、なんと

いうかなぁ、この関係の真理をじんわりと握っているような話が有るんですよ・・・・

ときりだしたのは、いつかはだれかに披露してやろうとインプットしておいた話の

とつだが、原典は中国の古書『聊斉志異』(りょうさいしい)に出てくる話である。  


劉(りゅう)さんはでっぷり太った大酒飲みで、一人で飲んでも一甕(かめ)飲み干し

てしまう。

家は豊かであったから、そのくらい飲んでもなんともない。

そんな劉さんの所に、ある日ラマ僧がやって来て、「あなたには奇病がある」という。

劉さん「いや、健康そのもの奇病なんて無い」と答えると、「でもあなたは幾ら飲んで

も酔わないでしょう」という。

酔っぱらった事などついぞ無い劉さん「酔わんよ」と答えた。ラマ僧は「それが貴方の

奇病で体内に‘酒虫’がおり、そのせいで酔わない」といって治療を始めた。

劉さんを日向にうつむけに寝させ、手足をしばり、首から五寸ほど離して美酒を入れた

器を置く。

喉が乾いて飲みたくてたまらなくなると、急に喉がむずがゆくなって、何やら出てきて

酒の中に落ちた。

三寸ばかりの赤い虫で口も目もあり、器の中で動き回っている。

劉さんは驚いて礼金をやるというが、ラマ僧はそれは受け取らず、その‘酒虫’をくれ

といい「これを甕の水の中に入れてかき回すと美酒ができるのです」と言う。

やらせてみると、はたして美酒ができた。

劉さんは、その日から大の酒嫌いになり、体は日に日に痩せて、家も貧しくなり、やが

て飲み食いもままならぬ事となってしまった。


・・・・と、「まぁ、こんな話しなんだけど、ご感想は?」


運命論者ぽい、Kさんいわく

「一日に一石も飲んでしかも貧乏にならず、全然飲まずにますます貧乏したって事は、

きっと人間の飲み食いには天から授かった予定数があるのだろうネ」


「いや!この虫は劉の福であって、病では無かったんだ、坊主がペテンで取り上げた

んだよ!」

至宝‘酒虫’を取り上げられた張本人でも有るかのように、憮然として意見を述べるY

さん。

これがこの‘酒虫の話’の面白いとこであり、その人なりの[酒飲みヒロソフィー]を

伺い知る事が出来るのである。


私見はというと予定数説はダメである。

酒虫は劉さんの肝(キモ)であり、エネルギー源であって、病ではなかったんじゃないで

すか。肝であればこそ一石飲んでも酔わなかったんですよ。それをとられたから、酒

の香りを嗅いでも酔っていやな気持ちになり、食欲もエネルギー源も衰えて、体も頭

も日々、貧して鈍していっただけ。

わが日本にも諺が有るじゃぁないですか下戸の建てたる倉はなしってのが・・・・。


すると、Kさん「その全く反対の諺もあるよ‘上戸のつぶした倉はあり’っての」


「劉さんという上戸は倉をつぶしもしたろうが、建て増やしてもいったんだナ。下戸にな

った劉さんは倉をつぶしはせんかっただろうが、倉が勝手につぶれて行ったんだわ。手

当するエネルギーと、やる気がもう衰えるばかりだからサ・・・・」とYさん。


上戸は毒を知らず、下戸は薬を知らず」とは、まことに公平穏健な[人と酒]との

関係の見方であり、[人酒を呑み、酒酒を呑み、酒人を呑む]とは、どの民族にも同

様な諺があるらしい。


まことにもっともな[人と酒]との関係図であることよ!



その夜の酒はことさらに美味しかった。


きっと[酒虫]のなせるわざかも知れない・・・・。