親ばかちゃんりん その1
盲目的に子供をかわいがる親のようすを「親ばか」というが、正しくは「親ばかちゃんり
ん」といってからかうのが正統らしい・・・・と思っていたら、これに「そば屋の風鈴」がつい
て「親ばかちゃんりん、そば屋の風鈴」とこなくては“江戸”を語る噺家(はなしか)に、
それこそ「ばか」にされてしまうらしい。
・・・・・と言うのも、屋台のそば屋がたくさん登場した江戸の頃、衛生的でタネモノを加えた
そば屋が、“かけそば”しか売らない不衛生な「夜鷹そば」と間違われないように、屋台の
四隅に風鈴をぶらさげ「風鈴そば」として売り出したのだが、季節はずれの冬でも“ちゃん
りん・ちゃんりん”鳴っている風鈴が、なんとなく“とんちんかん”なことから「親ばか」と同
じだというのが語源だったという。
それにしても風鈴の音だけで、そばを売り歩くことの出来た江戸の夜が、何とも羨ましくも
ある。
・・・・と、ご託を並べているのも「親ばかちゃんりん、そば屋の風鈴」の極みで、実は三女
の呉葉のチームがNPO法人チーズプロフェッショナル協会主催の『第3回チーズカクテ
ルプラトーコンテスト』で最優秀賞受賞の報告をしたいからに他ならない。
今も机の引き出しには一通のバースディカードがある・・・・ 両親の心配などお構いなしに中
学2年の終わりも待たずサッサと留学して、4年ほど経った時に送られてきた呉葉からオヤ
ジ宛のものだ。
『 DEAREST 大好きなお父さん HAPPY BIRTHDAY !!
お父さんも もうすぐ おじいちゃんになっちゃうんだねぇ。
呉葉もおばちゃんになっちゃうし。
仕事はあまりむりしちゃだめだよ。身体を第一に考えてください。
お父さんの跡を継げるように いま一生懸命頑張ってるから期待していてね
Lots of Love Kureha 』
これを目にしたとき、18歳にしては少々稚拙な文章だったが、いままで読んだどんな名作
の文章よりも、感動したものだった(・・・・風鈴がことさら大きく鳴っているようなきがする
が、気のせい??)
「こんなこと書いて送ってきた時もあったんだよ・・・・覚えているかい?」
・・・・そんなことを書いたことも忘れて、違う世界に跳び込んでいくかも知れないし、いずれ恋
をした好きな男のために、裏切の翼を広げて飛び去るかも知れない・・・・娘というものはそん
なものだと、密かに思いながら、いつのどんなシーンかは分からないけど、そう語りかける日
が来るまではと机の奥深くにしまっておいたものだ。
日本をに帰ってきたと思ったら荷物を玄関先に放り出すようにして、沖縄・石垣島の外資系
リゾート・ヴィレッジに行ってしまった時もチョットばかり寂しかった。
そこから帰ってきて、やっと系列店である横浜西口“月”でアルバイトを始めた・・・・しかし、ま
だまだ心の揺れ動く彼女にこのカードを見せるのは躊躇(ためら)われた。
あんの定、社員にもならずにソムリエに挑戦するためにと、銀座の懐石&ワインの店 “青山
(せいざん)”に修行かねて行きだしたのが二年前・・・・オーナーソムリエの指導よろしきも得
て念願のソムリエに合格したときには、次なる挑戦は“チーズ・プロフェッショナル”と決め
ていたらしいのだが、それもこの秋口に資格を得た。
・・・・が、その間も以後も社員になる話は全くなし。
そして今月9日の午後8時頃“ぼんそわーる”のカウンターに立つオレの所に“呉葉”から電
話が入った。
「お父さん!最優秀賞ったよ!」
「良かったジャン」
「最優秀賞だよ!すごいでしょ!」
「すごいすごい」
「自分でも信じられないのオ」
「いまさぁ、オレ氷割ってるからまたあとで聞くよ・・・・」
「・・・・・・・・」
続 く