エホバの証人の「避け」について ⑱  [聖句の検証]② | ひとりごちる ~エホバの証人(JW)・ものみの塔(WT)・jw.orgについて考える~

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エホバの証人の「避け」について ⑰  [聖句の検証]①

から続きます。


今度は

「ヨハネ第二9-11」

について検証してみたいと思います。

(オンライン新世界訳聖書より引用)


「先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っているのです。10この教えを携えないであなた方のところにやってくる人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。11その人にあいさつの言葉をかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです。」


ところで、このヨハネ第二の手紙を最初から読んでいくと、まず、

「神のおきて」

として、

「互いに愛し合う」

こと、そして

「彼のおきてに従って歩んでいくこと」

「それがすなわち愛です。」

と書かれていて、愛のうちに歩んでいくことの重要性を説いています。


この手紙の中でヨハネが問題視していることは

「欺くものが多く世に出たこと」

すなわち

「イエス・キリストが肉体で来られたことを告白しない者たち」

つまり

「欺く者、反キリスト」

の存在です。


ところで。。。

私が手元に持っているのは新共同訳なのですが、このヨハネ第二9は、新世界訳の言葉とは少し違います。

「だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。」


新共同訳の言葉で読むと、ややニュアンスが変わっていることにお気づきでしょうか。

「キリストの教えを越えて」

つまり、

「互いに愛し合う」

という神のおきてを越えて、これにとどまらない者に対する警告とも読めます。

そうなると、いったいどのような者たちに対する警告でしょうか。


もっとも、このヨハネ第二の手紙の大意は、

「イエス・キリストの存在を信じない者たちに対する警告」

だと思われます。

決して、直接的に排斥・断絶した人たちのことを指しているわけではありませんね。

なぜならば、排斥・断絶した人たちの中にも、

「イエス・キリストの存在を信じる人たち」

は多くいらっしゃいますから☆