から続きます。
今度は
「ヨハネ第二9-11」
について検証してみたいと思います。
(オンライン新世界訳聖書より引用)
「先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。この教えにとどまっている者は,父も子も持っているのです。10この教えを携えないであなた方のところにやってくる人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。11その人にあいさつの言葉をかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです。」
ところで、このヨハネ第二の手紙を最初から読んでいくと、まず、
「神のおきて」
として、
「互いに愛し合う」
こと、そして
「彼のおきてに従って歩んでいくこと」
「それがすなわち愛です。」
と書かれていて、愛のうちに歩んでいくことの重要性を説いています。
この手紙の中でヨハネが問題視していることは
「欺くものが多く世に出たこと」
すなわち
「イエス・キリストが肉体で来られたことを告白しない者たち」
つまり
「欺く者、反キリスト」
の存在です。
ところで。。。
私が手元に持っているのは新共同訳なのですが、このヨハネ第二9は、新世界訳の言葉とは少し違います。
「だれであろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません。」
新共同訳の言葉で読むと、ややニュアンスが変わっていることにお気づきでしょうか。
「キリストの教えを越えて」
つまり、
「互いに愛し合う」
という神のおきてを越えて、これにとどまらない者に対する警告とも読めます。
そうなると、いったいどのような者たちに対する警告でしょうか。
もっとも、このヨハネ第二の手紙の大意は、
「イエス・キリストの存在を信じない者たちに対する警告」
だと思われます。
決して、直接的に排斥・断絶した人たちのことを指しているわけではありませんね。
なぜならば、排斥・断絶した人たちの中にも、
「イエス・キリストの存在を信じる人たち」
は多くいらっしゃいますから☆