エホバの証人の「避け」について ⑤ | ひとりごちる ~エホバの証人(JW)・ものみの塔(WT)・jw.orgについて考える~

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エホバの証人の「避け」について ④

から続きです。


引き続き

「エホバのご意志を行なうための組織」

という小書籍から排斥等についての記事の引用です。


「排斥の発表

悔い改めない悪行者を会衆から排斥することが必要な場合、ただ次の手短な発表がなされます。

「[その人の名前]さんは、エホバの証人ではなくなりました。」

さらに説明を加える必要はありません。

これは、その人との交わりを絶つよう、会衆の忠実な成員に注意を促すものとなるでしょう。

(コリ一5:11)

主宰監督がこの発表を承認します。」


「断絶

「断絶」という語は、会衆のバプテスマを受けた成員でありながら、クリスチャンとしての自分の立場を故意に放棄し、行動によって、あるいはもはや自分がエホバの証人として認められたり知られたりすることを望まないと述べることによって、会衆を退ける人の取る行動を指して用いられます。

その人は関係を断絶したので、エホバのみ前におけるその人の立場は、野外宣教に携わらなくなっている不活発なクリスチャンの立場とは大きく異なっています。

不活発な人は、神の言葉を定期的に研究することを怠り、あるいは個人的な問題や迫害を経験したために、エホバに仕える熱心さを失ったのかもしれません。

長老、および関心を抱く会衆の他の成員は、不活発な兄弟に対して適切な霊的援助を与え続けるでしょう。

(ロマ15:1。テサ一5:14。ヘブ12:12)

しかし、信仰を否認し、エホバへの崇拝を故意に放棄して、自ら関係を断絶した人は、排斥された人と同じようにみなされます。

会衆に知らせるために、次の手短な発表がなされます。

「[その人の名前]さんはエホバの証人ではなくなりました。」


使途ヨハネは、クリスチャンとしての信仰を捨てた同時代の人たちについてこのように書きました。

「彼らはわたしたたちから出て行きましたが、彼らはわたしたちの仲間ではありませんでした。

わたしたちの仲間であったなら、わたしたちのもとにとどまっていたはずです。」

(ヨハ一2:19)

例えばある人は、聖書に反する目的を持つゆえにエホバ神の裁きのもとにある世俗の組織の一部となるなど、自らの行動によってクリスチャン会衆における自分の立場を放棄するかもしれません。

(イザ2:4。啓19:17-21)

クリスチャンである人が、神から非とされている人々に加わることを選ぶなら、会衆に対して次の手短な発表がなされます。

「[その人の名前]さんは、エホバの証人ではなくなりました。」

そのような人は排斥された人と同じように扱われます。

主宰監督がこの発表を承認します。」


さて。。。

今回は排斥、および断絶の時の会衆での発表の仕方の部分を転載しました。

どれも同じ言い方をすることになっていますね。

「[その人の名前]さんは、エホバの証人ではなくなりました。」


つまり、会衆の他の成員はその人が

「排斥」

なのか

「断絶」

なのかは知らされないまま、ただ

「その人との交わりを絶つよう」に注意を促されるわけです。


そしてこの記事で気になるのは

「自らの行動によってクリスチャン会衆における自分の立場を放棄する」

場合です。

これは、いったいどのような行動をした場合にそうみなされるのでしょうか。。。?


「世俗の組織の一部になる」

拡大解釈をしてしまえば、普通に就労して忙しく働き、エホバの証人としての活動ができなくなった人も、このように判断されてしまう可能性もありそうですが。。。


そして、このような場合であっても、会衆でなされる発表は同じです。

「[その人の名前]さんはエホバの証人ではなくなりました。」


この発表をされてしまったら、もう、会衆の成員からは

「交わりを絶」たれてしまいます。


その人に何があったのか、何を考えていたのか、何をしたのか。。。

そんなことお構いなしに、発表がされてしまうと、他の成員に求められるのはどれも同じ、交わりを絶つこと。。。


この記事からはそのように読み取れます。