「中国の文化も教えてください」と学生によく言われる。

言葉は文化の結晶。
文化を知ることは、言葉を習う楽しみのひとつでもある。

一方、中国映画、時代劇をみて、その時代のことをたずねる学生に説明すると、
「中国の歴史を勉強したいが、あまりにも歴史が長い」
「大学受験のとき、日本史を選んだから~」
「怠け者なので、試験がないと勉強しません。」
という声が多かった。

こういう方に打ってつけの試験がある。
2014年3月にスタートする「中国百科検定」だ。
昨日、この検定の「練習問題」を手に入れた!(3級)

 問題5:古代周王朝の時代は3つに分かれます。どの順が正しいでしょうか。
  (1) 春秋時代ー西周時代ー戦国時代
  (2) 西周時代ー春秋時代ー戦国時代
  (3) 西周時代ー戦国時代ー春秋時代


どうでしたか。
正解した方は、次の話をもう読む必要がなかろう。

さて、中国百科検定の攻略だ。

始皇帝とラストエンペラー、これは日本で有名だ。
始皇帝は、中国語では「秦始皇」と言う。映画タイトルの『ラストエンペラー』は『末代皇帝』である。つまり、この2人は、最初と最後の皇帝だ。
始皇帝は、紀元前221年に中国を統一した。清王朝は1912年に終焉を迎えた。2千年未満の歴史しかない。

しかない?
「しかない」というのは、中華5千年歴史があったからだ。
「いや、5千年ではなく、本当は4千年じゃないか」と言う方もいるが、この話は今度にしよう。

問題は、この2千年の前に、どういう時代があったか。
始皇帝の一つ前には、「周」という王朝があった。
当然、周には「皇帝」がいなくて、「天子」と言うのである。孔子が生きたのはその頃だった。

周代と秦代、その体制の違いは、江戸時代と明治時代で考えればわかりやすい。

江戸時代は「幕府ー藩」体制、明治時代から官僚制に変わった。
それに似ていて、周代の「天子」は、「将軍」にあたり、また藩にあたる各国があった。

つまり、一つの中国には、「呉・越」やら「楚」やらといくつかの国が存在していた。
まあ、「おくには、どこですか」と日本人同士もお互いにたずねるよね。この感覚で捉えよう。

各国を滅ぼし、「天下人」になったのは、始皇帝だ。彼は、廃藩し、巨大官僚国家を作った。

「天下人」と言えば、日本の戦国時代を連想するのだろう。周の末期は、まさに戦国時代だ。

いや、話は逆だ。
じつは、あの戦乱の時代を語る『戦国策』という本があったので、「戦国時代」と呼ばれた。日本の戦国時代という名もそこから取ったのだろう。

周代の衰退は、西の異民族に攻められ、東へ遷都したことに遠因があった。
それで「西周」、「東周」がある。
敵は、西から来たから、西から東へという順だ。


「東周」は、多くの四字熟語を生んだ時代だった。
中国語の多くの言葉のルーツを知るには、大変重要な時代でもある。

とくに文化的な香りが漂うのが、孔子を生んだ魯の国である。
紀元前にもかかわらず、編年体の歴史書が作られ、タイトルは「春秋」である。孔子もその仕事にかかわったと伝われてきた。
「春秋時代」は、この歴史書から取ったのである。「戦国」よりすこし前だ。

西から東への遷都、孔子がかかわった魯の歴史書「春秋」、天下人になるための戦国時代、そして「廃藩」した秦の統一へ。

ということで、問題5の答えは:
(2) 西周時代ー春秋時代ー戦国時代

これで覚えられますか。
最後は、おとく情報:

ケーブルテレビのチャンネル銀河では、連続ドラマ『大秦帝国』が好評上映中、ぜひお見逃しなく(笑)