最後の日は、彦根城をみる。
中に入ると、石田三成の展示会があった。敗者はよく語られる。

この地方にもともと石田三成の佐和山城があった。
あの関ヶ原で敗戦したことで、城が壊され、新たにたてられたのが、彦根城であった。

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上の写真は、天守閣へ渡るに必要な木の橋だ。
逆に、敵が攻めてくると、木の橋を壊して籠城するのが最後手段だ。
もちろん、中に居られる人は限られている。

中国で言えば、「城」と言えば、町全体を囲む「城」だ。
だから、シティは「城市」と言う。
つまり、城下町にある「市」も、「城内」に設けられている。

このような違いがあるので、
私は「城下町」を理解するにはかなりの時間がかかった。
機会があれば、その面影を見てみたい。

彦根城のとなりに玄宮園があり、中に冷たいお抹茶が飲める場所がある。

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ひこにゃんです。

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彦根から京都へ向かう途中、最後の途中下車は、近江八幡駅である。
正直もう疲れたので、ランチをしてすぐ帰ろうと考えていた。

しかし、偶然に近江八幡堀めぐり方面へのバスが目の前に止まり、
偶然に、狭い路地を通ったときに、ここで舟が乗れるよ、という看板を見た。
偶然に、舟に7,8人がいるので、すぐに出発できる状態だった。
そんな重ねた偶然のおかげで、舟に乗って、30分の時間を涼しく過ごした。


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中国にも、たとえば「徽商」と言って、安徽省の商人が有名である。
私の目に映っているのは、彼らの故郷を彷彿させる風景だ。

後で知ったが、豊臣秀吉は(となり駅の)安土山のふもとにあった城下町をここに移した。
織田信長が夢見た国際的な貿易都市を、ここで作ろうとした。
町の風景の背後にたくさんの物語がある。

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ちなみに、
最澄の時代から織田信長の時代までは、700年かかった。
織田信長の時代から今日までは、500年未満である。

(終わり)