1月24日、アメリカは「キングの日」で休日。キングとはもちろんマーティン・ルーサー・キングJr.のことだ。
その日に配信されたワシントンポスト紙電子版によると、1958年、キング牧師が29歳のときに、ちょっと精神的におかしくなっていた黒人女性に刺されて、危うく死にかけていたそうだ。
ひとりの女性の狂態で歴史が大きく変わったところだったわけだ。
モンゴメリー・バスボイコット(黒人女性がバスで白人に席を譲らず逮捕された事件)が1954年で、彼はすでにそれに抗議するリーダーだった。ただ、実際に目立つは1960年の座り込み抗議からで、その前にもし彼が殺されていたら、ジョンソン大統領が1964年に公民権法を成立させられたかどうかは微妙だったかもしれない。
特に、あの有名なI Have a Dream 演説は公民権法が成立する前年だ。あの演説がなかったら、歴史がそのまま進んだかどうか。
ところで、あの名演説を聞くと「なんと堂々とした立派な人だろう」と思うと同時に、「よく練られた演説だ」と思うだろうが、実はぶっつけ本番だったそうだ。
キング牧師は実際はあまり表にでるのが好きではなく、あの演説も最後までグズグズ決められなかったと天才心理学者のアダム・グラントが言っている。
グラント氏によれば、歴史的な偉業を成し遂げる人にはわりとこういう「ぐずぐずタイプ」がいるらしい。堂々として見えるのは開き直りで、要は正義感と責任感だけであの場に立ち、黒人の人権を守り、ベトナム戦争を終結に持ち込み、最後は暗殺され世界を悲しませたということになる。
本人に会ったことがないから憶測だけど、たぶん宗教改革のマルチン・ルターもそのタイプだろうと踏んでいる。
キリスト教の宗教改革が始まったのは1517年のルターによる「95ヶ条の論題」ということになっている。
だが、これを実際によく読むと、教会側に抗議しているんだか褒めているだかよくわからない文章である(私の読解力がないせいかもしれない)。
正義感が強い人だからちょっと抗議しようと思ったけど、教会を怒らせたくないからちょっと気を使って、よくわからなくなったのだろう。
既存の教会勢力のやり方に不満をもっていた人たちは「おお、ルター先生が勇気を持って抗議を出された。我々も続け!」となったようだ。それでルター先生はその先頭に立たざるを得なくなったわけだ。
よく「立派な人」と言うが、ほとんどが「立派に見られる人」であって、内心はみんな恐々やっている。
ところで、キング牧師の父親はマイケル・ルーサー・キングという名前だったが、キング牧師はミドルネームも含めて父と全く同じ名前をつけられた。だから、分けるために「ジュニア」がついている(父親はもちろん「シニア」)。
ところが、1935年に父親は自分の「マイケル」という名前を「マーティン」と改名した。息子のキング牧師もそれに合わせて改名して、「マーティン・ルーサー・キング、ジュニア」となった。
そう、キング牧師の名前はマルティン・ルターに由来している。
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