小学校英語の問題点・その2 | 真面目に脱線話@リンガランド英語塾

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小学校英語の反対派の代表格は、前回ご紹介した大津由紀雄先生である。



大津氏のご専門は生成文法の認知的な立場からの母語習得である(「生成文法の認知的な立場」に疑問を持たれたと思いますが、流してください)。



大津氏の反対論は、専門である母語習得の立場からのものである。「子供がいかに言語を獲得していくか」をご専門になさっているので、その立場からの批判を展開している。



子供が母語を身につける段階として、まず言葉そのものを覚えることがある。「まんま」が「ご飯」や「お母さん」を意味するといったことだ。



次の段階として、「言葉を言葉で説明できるようになる」という段階が来る。「さんまのまんま」という言葉を聞いて、「なんとなくおもしろい」と思う段階を経て、やがて「なぜそれがおもしろいか」を説明できる段階に達する。これがちょうど小学校の6年間と重なる。



大津氏のよると、この段階で母語以外の言葉を学ばせることには問題があるという。



本来なら日本語できちんと議論できる力を養う大事な時期である。しかも、現在の日本では、日本語の議論すら満足にできない状況にある。それなのに、そんな時期に英語など導入したら、肝心の日本語の力がおろそかになってしまいかねない。いや、場合によっては、害にすらなるのではないか。



ただし、外国語を使うという経験が有益であることには異存がないそうだ。問題なのはそれが英語に限定されている点だ。コミュニケーションの機会を与えるだけなら、中国語でも韓国語でもいいではないかという主張である。



微妙なところで仕事をしている菅氏とちがい、大津氏の反対論は立場が明確なだけに説得力がある。



ところで、ここまででわかった方いたかもしれない。私が見る限り、菅氏と大津氏は基本的に同じスタンスになる。



ただし、菅氏は小学校英語を「導入の指揮を執る」という立場にあるがために、単純な反対論に与するわけにはいかないのだ。おそらく大津氏の指摘するような弊害を避けるために、小学校の英語導入に際して「5年生から」「学科ではなく課外授業として」「異文化コミュニケーションの機会を与える」という線でまとめてしまったのだろう。こちらからは「苦肉の策」に見える。



だとしたら、最初から失敗するのがわかっている。わかっているのに、導入することがだけが決まってしまっているのである。



実際、試験的に英語を導入した小学校で何が起こったかというと、「中学校に入る前に英語嫌いが増えた」そうだ。聞いたときはちょっと笑ってしまったが、もちろん笑えない結果である。



これが予想できなかった文科省というのは・・・はい、もういいですね。



続きます。



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