エルサレム教団の成立 | 「秦氏」の謎ブログ

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失われたイスラエルの十部族(失われた原始キリスト教徒の謎に迫る。

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この「エルサレム教団」を、カトリックやその他のキリスト教会では、「初代教会」もしくは「原始教会」と位置づける

カトリックの総本山「バチカン」の「ローマ教皇」は、エルサレム教団の直系の教会であると自負し、初代のローマ教皇を12使徒の「ペトロ」と定めた。

※ペトロ=「岩」という意味で、ヘブライ語で「ケファ」に相当する。ちなみに、バチカンはペトロの墓所であるとされている。


しかし、エルサレム教団は、今日の教会とはまったく様相が違っていた。まず、ユダヤ人以外は、この教団に入れなかった。彼らは、みなユダヤ教徒を自負していたから、ユダヤ教の風俗、風習をわきまえていたので、異邦人がいきなり入って、そうした風俗、風習に馴染めるはずはないのである。

その意味では、非常に閉鎖的な教団であった。

イエスの教えを純粋に保持しなければならないという使命感もあったのだろう。ユダヤ人でなくては、エルサレム教団にはなれなかったのである。


これは非常に重要な部分である。キリスト教というと、人種の壁を越えて、いかなる人間にも福音をもたらすことが使命であるはずが、このエルサレム教団の方針は、どういうわけかエルサレム教団の直系を自負するバチカンでさえ、その意味を知ることはない。

その奥深い意味を語りつくすことはここでは出来ないが、これだけは言っておく必要を感じる。

今の「バチカン」は、エルサレム教団の直系ではないのである!

彼らが自称しているだけで、歴史的に何の根拠もないのである。何故なら、イエスの公開した「カッパーラの奥義」は、現在のカトリックには、継承されていないのが事実なのである。


ヘブライストとヘレニスト

ユダヤ人以外の異邦人に対しては、非常に閉鎖的なエルサレム教団であるが、メンバーが多くなるにつれ問題が生じるようになる。

もともと、パレスチナ地方に居たユダヤ人は、みな「アラム語」を使っていた。「新約聖書」でいう「ヘブライ語(へブル語)」とは=「アラム語」のことである。

そのため、アラム語を話すユダヤ人キリスト教徒たちのことを「ヘブライスト(ヘブライオイ)」という。

アラム語とは、基本的に古代シリア語のことで、言語学的には「セム系(セミチック)」の言葉で、ヘブライ語の方言のようなものだった。中東をはじめ、メソポタミア地方や地中海などで、広く使われていた言語である。シルクロードを通って、一部の西域諸国やインドまで伝わっていた。

イエスをもちろん、12使徒をはじめ、まわりのユダヤ人は、みなアラム語で日常会話を行っていたのである。

一方、「旧約聖書」などで使われていたヘブライ語は、ほとんどが死語のようなものであった。原始キリスト教徒を語るとき、これは絶対に覚えていてほしいことである。


当時、多くのユダヤ人が世界各国に散らばっていた。散らばることを「デイアスポラ」ということから、パレスチナ地方以外へ移住したユダヤ人を「デイアスポラのユダヤ人」という。

デイアスポラのユダヤ人の多くは、地中海沿岸に広まっていた言語の「コイネー・ギリシャ語」を使っていた。

当時のギリシャ文化は、アレキサンダー大王によって確立されたヘレニズム文化のことを指す。そのため、ギリシャ語を使うユダヤ人キリスト教徒を「ヘレニスト」という。

デイアスポラのユダヤ人であっても、ヘレニストであっても、ユダヤ人ゆえに「エルサレム教団」のメンバーに入れたのである。

しかし、言語の持つ力とは大きく、言葉の違いによって、文化や風俗、習慣も大きく違ってくることから、両者の間に、軋轢が生まれることとなる。そして、この亀裂が、やがて大きくなっていくのである。



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