紀元前後のユダヤ教 | 「秦氏」の謎ブログ

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失われたイスラエルの十部族(失われた原始キリスト教徒の謎に迫る。

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紀元前後のユダヤ教は「祭司」を頂点に、「サドカイ派」「パリサイ派」「律法学者」「熱心党(ゼロテ派」「エッセネ派」といった派が存在した。

祭司は「大祭司」「祭司」「レビ人」の3階級に分かれ、ソロモン第2神殿で行われるユダヤ教の儀式を司っていた。彼らはみな「レビ族」の人間で、宗教的に強大な権力を持っていた。

当時は「ハスモン王朝」が崩壊し、ユダヤは古代ローマ帝国の属国となっていた。古代ローマ帝国から派遣された「エドム人」がユダヤの王として君臨していたのである。つまり、ユダヤ人の王が存在しないため、事実上、ユダヤ教社会においては「大祭司」が最高権力を握っていた。


この祭司の家系につらなる貴族は「サドカイ派」と呼ばれる宗派を形成し、「モーセ5書」に記された「律法(トーラー)」をかたくなに守ることを大きな信条としていた。

これに対し、民衆レベルで律法を守ろうとするのが「パリサイ派」であった。彼らは「モーセ5書」のほかに「父祖の伝承」をも律法として重視していた。サドカイ派とともに、もっとも保守的なユダヤ教徒で、後に、イエス・キリストと真っ向から対立する。


このようにユダヤ教は「律法の宗教」である。純粋に律法を学問的に追及する「律法学者」や、律法に基づいて過激な政治的行動をとる「熱心党」があった。12使徒の「ヤコブ・ベン・アルファイ」「シモン」「タダイ・ユダ」「イスカリオテのユダ」が熱心党だった。

さらに、これらとは対照的に、俗世間とは縁を切り、厳格な禁欲主義を貫いて、荒れ野で修行する「エッセネ派」があった。イエスの12使徒のうち、「フィリポ」「バルトロマイ・ナタナエル」「トマス」らが、このエッセネ派に属していたという説もあるようだ。


「新約聖書」には、このエッセネ派のことは記されていない。今世紀まで具体的な素性はあまり知られていなかったが、「死海文書」が発見され、それを記した「クムラン宗団」がエッセネ派であることがわかると、多くのことが明らかになったと同時に、衝撃的な事実が判明する。


そこには、「義の教師」など、イエス・キリストの説いた教義や行動とオーバーラップする点が数多く見い出されたのである。そのため、イエスにバブテスマ(洗礼)を施した「洗礼者ヨハネ」は、エッセネ派の教師だったという説や、イエス・キリスト自身、エッセネ派だったのではないかという説まで登場することとなった。



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