2016年6月21日07:34に夏至を迎えます
前夜の二度目の射手座満月から一夜明けて、昼間がもっとも長くなる陽のピーク。
2016射手座満月☆とめどなくあふれる情熱が現実を変えていく
http://ameblo.jp/light-side/entry-12172252688.html

前夜の二度目の射手座満月から一夜明けて、昼間がもっとも長くなる陽のピーク。
2016射手座満月☆とめどなくあふれる情熱が現実を変えていく
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わたしたちが普段『自分』としているもの……。
たとえば役割や立場や肩書き、あるいは思考や感情に至るまで…それらは本当のわたし、といえるのでしょうか?
それらがなくなったら、わたしはわたしではない?
では、どのようにして、わたしはこの【わたし】になったのでしょうか?
パソコンがリストアされるように、まだなにも知らない、体験のない、まっさらだった頃に戻ることはできないけれど。
だけれども限りなく、さまざまな経験や学習からくる思いこみや影響、社会的な制約から自由になって、はじまりの、まだなにも知らなかった頃のように、一途に集中してやっていくときがきたのかもしれません。
いまひとたびの、はじまり。
異界の蓋がひらく夏至の季節。
ゼロに還って、もう一度作り替える夏がはじまります。
ゼロに還って、もう一度作り替える夏がはじまります。
■かつて長いあいだ、感じていたつながりを取り戻す
自分の内側に深く強く、集中していきたいときです。
外からの影響や刺激や思考やジャッジは後ろのほうに置いておき、自分の内側、その中心と深く深くつながっていきます。
わたしたちの中心にあるもの。
生命を有機的に紡いでいる光。
わたしたちが自分自身にくつろげば、くつろぐほど、そのおこないに、決断に、動きに、おのずと光が立ち昇るでしょう。
子どもたちがあるがままに振る舞うだけで、まわりを明るく照らすように。
そして、外からの音を一時のあいだ遮断して、代わりに自分の内側に耳をすませていましょう。
わたしたちのハートには、さまざまな感情がやって来ては去っていくもの。
その去来する感情が自分自身になにを訴えかけているのか……それをキャッチして、感じ、しっかりと味わうことで、ハートはいつも軽やかな器として、敏感なアンテナ機能が際立ちます。
ハートが軽く、内側深くにくつろいでいてこそ、その時々のやるべきことに集中して、おこないに情熱の息吹きを与えることができるのでしょう。
その去来する感情が自分自身になにを訴えかけているのか……それをキャッチして、感じ、しっかりと味わうことで、ハートはいつも軽やかな器として、敏感なアンテナ機能が際立ちます。
ハートが軽く、内側深くにくつろいでいてこそ、その時々のやるべきことに集中して、おこないに情熱の息吹きを与えることができるのでしょう。
わたしたちの身体のあちこちに宿っている命の光。
それは天から分かたれたものであり、やがていつかはまた再び全体に還元されていくもの。
いま、仮の姿として命ある身体に宿り、この生命を使って、さまざまな営みを広げていくことで地上の隅々まで照らし、天の光を地に顕現させながら、この星を息づかせているのでしょう。
わたしたちは天から分かたれた光を、そのおこないによって、地上にもたらす存在です。
ひとりひとりが持っている小さな光を世界に差し出していくことで、地上に輝きがあふれ、それは光をその内に含む、あらゆる自然界の存在たちとのあいだに共鳴を起こすのでしょう。
かつて、長いあいだ、そのように自然たちと共存してきたように。
いまも、地上のそこかしこで、それがおのずと起こっているように。
いまも、地上のそこかしこで、それがおのずと起こっているように。
物質的な豊かさを得ることと引き替えに失われていったスピリチュアリティ……目には見えない光のつながりを取り戻していくときです。
■しなやかに受け流し、生き抜いていく、したたかさ
自分のなかにあるものを、とことん表現していくときです。
ピアニストが同じ曲を弾いても、決して同じではないように、わたしたちは同じ題材で描き、詩を詠んでも、決して同じにはなりません。
自分を徹底的に磨いていくと、その完成されたものに、自分自身の在りようが立ち昇るでしょう。
これはピカソだ、ゴーギャンだ、北斎だと一目でわかるように。
その人の色、音、言葉、大きさ、カタチ…そこかしこに漂う存在。
自分の内に宿る輝きを、限りなくきわめていくときです。
模倣から入り、型に近づき、型を取りこんで、解き放つ。
わたしたちには、まだまだ伸びしろがあります。
その無限のように感じられる可能性に対して、個人が一生を通して使える時間とエネルギーは有限で。
だからこそ、気をそらさないように、無駄に消耗しないように。
しっかりと集中して狙いをさだめて、情熱をカタチに変えることだけに慎重に注意深く、タイミングを見計らって解き放つ。
そうして、思いが象られて、創成されていく。
誰かよりうまいとか、優れているとか、そういった評価はあまり役に立たなくて。
それらの価値はそれとして置いておきながら、さらにそこを飛び越えて、どこへいっても適合できるしなやかさを発揮していきましょう。
しなやかに受け流し、どこででも生き抜いていく、したたかさ。
わたしがわたしであると同時に、わたしはなんにでもなれるということ。
個性と非個性が光と影のように溶け合い、交錯する、暑い夏のはじまりです。