~震災を風化しないために~16年が経過した神戸


昨日のひとり神戸旅の第2弾。阪神住吉駅です。この駅はとても面白い駅なのですが、西に「御影」、東に「魚崎」という駅があり、両者は条件にもよりますが、「特急」が止まる主要駅です。その間の駅が「住吉」。もちろん普通しか止まりません。私は学生時代、住吉駅で普通電車に乗り過ごしたとき(といっても12分に1本は来ます)、ダッシュでとなりの「御影」駅まで走ること多々ありました。そうすると授業に間に合うのです。一駅分走りますが、見えているくらいの距離なので、当時は3分くらいで着いていたと思います。

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阪神住吉駅にも御影同様市場がありました。御影は現在も営業していますが、住吉の市場は阪神大震災で全部つぶれてしましました。下の写真は16年経過した市場後です。今も残念ながら当時のままです。

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住吉駅の市場は南側と北側にありました。こちらは北側の市場があった場所。私も下級生がこの市場の豆腐屋やつけもの屋の息子だったりして、よく遊んでした市場でした。「金物屋」なんかもありましたね。豆腐屋なんかは5時くらいから開いていたような気がします。そこでいただいた「蒸したたまご焼き」が美味しかったのを思い出します。

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昨日通ったら、お好み焼き屋さんが営業していました。震災に負けず頑張っています。また駅すぐのうどん丼店「高治」さんも震災前からの営業で今も頑張っています。ここの「カレー丼」がめちゃくちゃうまいです。他の丼も美味しいですが、私はカレー丼食べるためにこの店に来ます。カレー丼といっても、普通のカレーではありません。もし神戸旅行の時には、住吉駅で降りて、行ってみてください。いつかまた寄ったときに写真とってきま~す(^^♪

駅から北に行くと、野球場があります。ここも震災当時は仮設住宅がたくさんありましたが、今は昔の野球場に戻りました。隣には特別養護老人ホームもあり、高齢者が散歩していたりで、ほのぼのした風景が残っていました。

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東灘区の住吉は、神戸の中でもたくさんの「だんじり」を所有しています。神戸市民のうち、阪神大震災経験者が3分の1になったと新聞記事にありました。新しい若者が神戸市民として支えてきている時代の中で、昔ながらの「地元祭り」は大切なイベントなのでしょうね。私たち家族も今年神戸だんじり祭りに行きました。神戸の街には16年経過した後もいたるところで、傷跡が残っていたり、そのままのさら地であったりします。しかし祭りを見ていると「新しい力と復興してきた神戸」を感じることができます。

神戸旅行の際は、「ルミナリエ」だけでなく、「だんじり」も是非コースに入れてみてください(^^)/

(写真は春のだんじり祭りに参加したときのもの)

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さて、東日本大震災6か月が経過したこともあり、自身の震災を「御影編」「住吉編」でまとめてみました。震災6か月のときは、どうしていたかというと、まだ避難所でした。下写真は阪神大震災6か月後の読売新聞ですが、避難所で黙とうしている写真の中に、うちの両親が写っています。あの頃を忘れないようにするために保存しています。そして、後ろの紙が「罹災証明書」というやつです。そこには住所記入欄がありますが、もちろん住所は避難していた小学校名が記載されています。

半年過ぎても、プライバシーのない体育館(当時は今みたいに避難所プライバシーを守る避難用具も開発されていませんでした)、最終的には小学校の体育館も学生さんが使うので立ち退き、小さな児童館に再度引っ越しをしたのを思い出します。

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その後、2年仮設住宅でお世話になって、母は今も神戸市復興住宅に住んでいます。復興住宅では10年で500人以上の孤独死問題、その他色々な問題を抱えながら神戸は16年を経過しました。


それでも、神戸は新しい元気な神戸になっていくのだと思います。私は震災の影響で地元を離れ、もう神戸人ではありません。それでも20年過ごしてきた街ですから大好きです。

きっと東日本大震災で被災した方々も地元が大好きだと思います。大好きな街は必ず復興していきます。


私も東日本大震災について、これからも想い続けたいと思います。



お宮参りというお祝いの後、ひとりでぶらっと歩いた神戸の街と歩きながら考えた震災のこと。

当たり前な毎日に改めて感謝した一日でした。