葬儀社の車で父の遺体を乗せて、自宅に帰って来た。
実は、家に帰って来てから葬儀が終わるまでほとんど記憶が無い。
確か葬儀が終わった頃には、体重が3kg落ちていたのを覚えている。
覚えているところでしか記事に出来ないが書こう。
先ず、父を寝室に寝せた。
生前より、ホールでの葬儀を嫌っていたので、自宅で葬儀をする事にした。
始めにした事は、我が家の実家は田舎の為、葬儀は組合で取り仕切るので、組合の方に連絡。
当家の組合は、当家を入れて5件。
先ず、長老のTさんに、父が亡くなった事を報告した。
大分驚いている様子だったのを覚えている。
そして、組合と葬儀会社と当家で葬儀の日程やらの準備を話し合った。
祖父、祖母を亡くしているが、自分が喪主として臨む葬儀は初めてなので、何をどうして良いのか分からず、聞いた事の無い言葉などがほとんどで、ほとんど任せっきりになり段取りが決まって行く。
通夜が21日、葬儀・告別式が22日に決まった。
その間、続々と見舞いの客が現れる。
「どうして亡くなった」
「この前まで元気だったじゃないか」
「病気をしてたのか」
等々、みんな一様に信じられない様子だった。
そりゃそうだ、なんたって、倒れる前日は夜の12時近くまで飲んでいたと言うから、亡くなったなんて信じられるはずがない。
そして、葬儀の準備が、段々と整って来た。
花輪や盛り籠、生け花がぞくぞくと届けられる。
全部で何本の花輪や盛り籠が有っただろう。
こんな、数は見た事がない。
父の人脈が垣間見えた。
そして、通夜。
先にも書いたが、当日の事は全然覚えていない。
確か、坊さんが3人くらい来て拝んでたなぐらいしか記憶にない。
多分、テンパっていたのだろう。
葬儀・告別式。
大勢の参列者が来てくれた。
後から調べたら、通夜・葬儀で800人近くの人が来てくれたようだった。
派手好きな父だったので、こんな多くの人に送られたのだから、嬉しかったのではないか。
葬儀のお経と初七日のお経が終え、出棺に入る。
出棺の前に、家族並んで挨拶。
皆の前に向かう途中、母が泣き倒れた。
気丈に振舞っていた母だったが、30年間連れ添った相方の最後に、力無く倒れこんだのだ。
会えば、父の文句を言っていた母も、やはり父を愛していたのだろう。
この光景は、今でも強く記憶に残っている。
そして、出棺。
火葬場について、最後の焼香を済ませた。
父の姿で会えるのは、これで最後になる。
涙が出てきた。
もう、この姿、顔を見れないと思うと、涙が止まらなかった。
父を、火葬場に入れ、親族達は待合室へ。
1時間30分後くらいに、火葬が終わった旨のアナウンスが鳴った。
この姿を見て、何とも言えない感覚になった。
大きなものを失った、その時実感した。
母と一緒に、最初の骨を壺に入れた。
全部の骨が壺に入ったので家に帰る。
そして、長かった通夜・葬儀が終わった。
葬儀が終わった後、今後どうするか、家族3人で話し合う事になる。
つづく。