2007年5月19日 午前3時37分 そう、ちょうど2年前の今、先代である父が亡くなりました。
享年57歳。
早過ぎる死でした。
遡る事、2年2日前の5月17日の朝、確か、午前8時40分頃だったと思う。
桜川市の自宅マンションからつくば市の勤務先の通勤の途中、携帯電話が鳴る。
母からだ。
なにか嫌な予感が。
祖母が亡くなった時に掛かってきた電話と同じ予感というか感覚になったというか...。
「お父さんが倒れた、今、病院に運ばれている」
つくば市の高エネルギー加速器研究機構の入り口の信号でUターンをして、地元の病院へ。
直ぐに電話を切ってしまった為、状況は分からず。
でも、あの電話の感じだと大変なことになっているのでは無いかと感じた。
少しして、弟に電話をしてみた。
状況を少し把握しているみたいだ。
「心臓が止まってしまったらしい」
絶句。
早く、病院に行かねば。
焦る気持ち。
約30分後、母からまた電話が。
「K病院(地元の総合病院)だと、何も処置が出来ない状態。心臓は動き出した。でも、意識は戻っていない。」
一命は取り留めたようだ。
少しほっとした。
今から、救急車でつくばの総合病院へ。
地元のK病院手前で、救急車とすれ違う。
母親に電話をして、つくばへ出発した事を聞いた。
すれ違った救急車が、父が乗っていた救急車だった。
また、Uターンをして、つくばの病院へ。
つくばに着くと、母と伯父と伯母がいた。
現在、検査中との事。
どのくらいの時間だったか覚えていないが、長い時間検査していたと思う。
そして、家族が呼ばれ、医師から説明を受けた。
「今の状態だと意識が戻る可能性は低いです。良くて植物状態。もしかしたら...覚悟をして下さい」
一瞬、この人何を言っているんだと思い、理解するのに時間を要した。
実は、心臓が止まってから、蘇生されるまで15分くらいの時間が空いてしまっていたのだ。
通常、心臓停止から3分以上で50%の生存率、6分以上でほぼ助かる見込みがなくなるらしい。
15分間心停止し、再び心臓が動き出したのは軌跡に近いのではないか。
本人が、生きたかったのではないか。
これから父親を見守る2日間が始まった。
母、弟、妻、伯父達、伯母達、従兄弟で交代で父のそばにいることになった。
神経が麻痺してしまって、全身痙攣状態が続く。
薬で抑えてもらって、少し落ち着く...の繰り返し。
少し前まで、元気にしていた父が今、病院のベットで寝ている。
まだ、信じられない。
手を握って、絶対死ぬなよ、元気になれよ と励まし続ける。
18日、薬のせいか落ち着いた感じ。
少し落ち着いたので、会社に連絡して、その後、家に着替えを取りに帰った。
集中治療室での治療は続いていた。
何の数値だったか忘れてしまったが、その数値に一喜一憂していたのを覚えている。
でも、18日は比較的落ち着いていて、本当に明日にでも意識が戻るのではと本気で考えていた。
しかし、19日に入って状況が一変した。
その数値がだんだん悪くなっていく。
そして、3時過ぎだったと思うが、家族全員が病室に呼ばれた。
覚悟した。
3時34分、父が亡くなった。
泣いた。
結局、倒れてから一度も目を覚まさずに逝ってしまった。
しかし、倒れた日に、心臓が止まってからまた心臓が動き出した事は、父の最後の意地だったと思う。
最後の意地、しっかり見せて貰った。
病院を出る用意を、看護婦さんがしてくれるので、一度病室を出る事に。
その間、私は、長男として葬儀の手配を始めた。
病院を出る用意が出き、葬儀社が迎えに来た。
外は、空気が澄んでいる晴天だった。
そして、帰路についた。
つづく。