「AMY エイミー」と、セナのドキュメンタリーで重なったこと。 | ☆青山生活子連れ流☆(~2021+時々)

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23歳で国際結婚。25で母となり。33で離婚。
今年で長男27、長女23、次男20になる!



先日映画館で、エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー「AMY エイミー」を観た。
観ながら思ってたのは、
まず、エイミーの歌声が、ただ発するだけで、もう、何かが乗り移ってるんじゃないかと思うような、圧巻の素晴らしい声ということ。
言葉を発するだけで、歌になる、心に響く・・・そんな特別な声だ。
それから思ったのは、
15歳から過食症って、体一体どうなっちゃうんだ、、、とか
彼氏が最悪のくそ男!!!!
とか、
金儲けのことしか考えてない腐った父親!
ほんと腹立つ!!!!!
といったこと・・・

こんな関係おかしい・・・・人との関係にしろ、薬物、アルコールにしろ、食べ物にしろ、
おかしな関係、辞めてしまえと、周りが思っても、
これは辞めれないんだよね・・・・辞めたくても、辞めれないんだよ・・・と悲しく思いながら、見た。
そして、悪い奴らは本当にどうしようもない悪人。自覚もないのだろう。救いようがない。
エイミーには優しい友達もいたのに、その友達の力でも、
彼女は囚われから逃れられなかった。たぶん、それがないと、生きていけないから。

それがないと生きていけないって、思い込むの、それって、改善できないことではないように思う。
しかし、細胞に記憶が楔のように撃ち込まれているから、引っこ抜いても、傷が残り、その穴を常に埋めるものを欲してしまうんだろうね。

それにしても、エイミーは、本人が望んだとおりの場所で歌うと本当に、彼女の魅力が出ているのに、彼女自身が望まない場所・・・・しかし彼女を言うなりにする奴ら、でいて、彼女にとってはなくてはならない人たちが望む場所で歌う時、歌が、全然、違うのね・・・表面的になるというか・・・。

この映画の監督は、「セナ 音速の彼方へ」の監督なのだが、(セナのドキュメンタリーは、観てない人には是非見て欲しい・・・・)
セナも、周りのプレッシャーをしょって・・・それが、1トンの岩がいつも背中に乗っかってくるような・・・レースに出ていたわけだが、
エイミーも、自分の為に歌うのではなくなった頃、生きていて、悲しさと辛さでいっぱいだったのだろうな・・・ほんと、歌えなくなったカナリア、
体がボロボロになってもこき使われる見世物みたいになってた。
辛くても辛くても、頑張らされる・・・・周りは、期待するだけ・・・
相手が嫌と言えないのに、期待するという残酷さは、ほんと自己中心的なもんだ。