1600年9月15日
今回の旅はここからスタート。
誰もが知っているのに訪れたことのある人は少ないのでは?
歴史民族資料館 で合戦までのいきさつをお勉強。
東西軍の陣形を再現したジオラマが面白かった。
関ヶ原の合戦で私が最も興味ある人物は小早川秀秋です。
秀吉の養子であり、妻は西軍総大将毛利輝元の娘。
西軍の重要な位置に陣を構えておきながら
東軍と寝返りの密約を交わし、東軍を勝利に導いた裏切り者。
叔母である北の政所から直々に
「西軍の勝利はあなたにかかっている」
と望みを託された時の彼の気持ち。
東軍勝利からたった2年で彼は狂死しています。
(暗殺説もあり)
いろんな葛藤があったんだろうね。
まだ19歳だもの。
彼がどんな気持ちで寝返りの密約を交わしたのか。
親戚を裏切る行為だが、三成には恨みがある。
老獪な家康の戦術や家老達に振り回されたんじゃなかろうか。
なんだか、おばちゃん目線で考えてしまうの。
石田三成にもかなり惹かれます。
秀吉にキリシタン逮捕令を下された時にも
最小限の宣教師のみを捕らえ、残りは見逃しています。
斬首の命にも、耳たぶだけを切り落として命は奪わなかった。
26聖人の殉教が1597年、秀吉の死去が翌年。
もう少し経てば、彼らは命拾い出来るかもしれない。
そのことを三成は感じていたのだと思っています。
三成の悲劇は成り上がりの秀吉に仕えていたこと。
才覚ある殿の下でその才能を発揮して欲しかったな。
でも、成り上がりだったからこそ三成は見出されたわけで。
五奉行の筆頭にありながら蟄居生活を命じられ
毛利輝元を総大将に掲げなければならない立場。
静観する豊臣家。
悔しかったろうなぁ (ノ_-。)
とか、激しくいろいろと妄想しておりました。
関ヶ原の合戦はたった1日に様々なドラマを抱えています。



各陣の跡地をめぐるウォーキングコースもあり。
私達は車だったので、さっと一周しました。