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この11月で「Komo's英語音読会@陸前高田」は一周年となりました。多少の感慨にふけりつつ、2年目以降への燃える思いを胸に、11月9日(土)~10日(日)の週末に月例の音読会を開催して参りました。
移動日の金曜日、朝6時に仲間をピックアップして東北道へ。いつものように気仙沼に寄って復興商店街でランチです。
しかしその前に、今回は・・・。
「マルトヨ食品株式会社」(http://www.facebook.com/marutoyo.kesennuma)の取締役営業部長、清水浩司さんを訪ねました。清水さんとは以前から"Facebook Friend"なのですが、今回初めて直接お会いする機会を頂きました。
水産加工業のマルトヨ食品さんは、震災の夜に地獄絵図のような大火災に包まれた鹿折地区にあります。社屋も浸水しましたが、ギリギリ火災は免れ、今は復興に向けた努力を続けておられます。
社屋2階の屋外スペースから鹿折地区を見渡して、改めて、ほんとうに改めて、被災の大きさを実感しました。
まだ基礎も破砕されずに残っています。ここから先、相当な年月がかかりそうな印象。個々人や個々企業レベルでの取り組みには、かなり苦しいものがあります・・・。
そんな中でも、前を向いて明るさを失わない清水さんでした。商品が市場に出てきたら、たくさん食べて応援します!
復興商店街では、これまた定番、「喫茶マンボ」でラーメン。その後、「新潟屋刃物店」のおじさんに挨拶して小間物を少々購入。「揚げたてコロッケ屋」に寄り、お姉さま方に挨拶してコロッケを賞味。お菓子の「さいとう」さんに寄り、手土産などを購入。
ここの商店街は、今年のクリスマスで設立一周年ですね。
その後、国道45号線で陸前高田へ。もう長い間、濱守栄子さんの「国道45号線」が頭の中でヘビーローテーションになっています。東京にいるときでもそうなのに、45号線を実際に走るとなればなおさらです・・・。
初めて当地を訪問する仲間もいましたし、ちょうど公共施設の震災遺構の解体が始まった週でしたので、陸前高田中心部をざっと車でまわりました。高田高校や市民体育館など、痛ましい傷跡を残す建物に最後の祈りをささげました。
いわゆる震災遺構は、私にとっては、生まれて初めて見た陸前高田の象徴です。現地の方々からすれば全く望ましくないその景色が、私にとっては陸前高田の原風景になってしまいました。そのあまりの酷さゆえに、「何かしなければ」と心に決めたのでした。
ですので、震災遺構がなくなってしまうことには、個人的には奇妙な喪失感があるのです。なんと皮肉な喪失感でしょうか。新たに陸前高田を訪れる人に、ここで起きたことを感じていただく機会も今後は減っていきますね。
でも、これは陸前高田の人々の立場では、被災というネガティブな特性で吸引力を維持するのではなく、「これから作る新しい価値で国内外に存在意義を訴求していこう」という決意の表れなのだと思います。
よそ者である私の個人的感傷などはどうでもよく、地元の方々の決めたチャレンジを応援するのみですね。更地になった被災エリアの上に、10年後には生まれ変わった活気のある陸前高田があることを祈ります。
そのために、微力を尽くし、一隅を照らし続けることを改めて心に誓いました。
さて、音読会。
金曜日の夜は、少し遠いところにある仮設住宅を訪問して、小中学生のために特別セッション。その後、Oさんの仮設住宅におじゃまして晩ご飯をご一緒させていただきました。
初めて当地を訪れる講師メンバーにとっては、Oさんから伺う震災当初~今日までの話は、貴重なラーニングであり、ある意味、イニシエーションでもあります。私たちがここに来ていることの背景にあるものを、講師仲間の間では共有し続けたいと思います。
佐藤さんの震災手記「The Seed of Hope in the Heart」(第2版)は、コンスタントに色々な方の手に渡っているようです。同冊子の第1版はスペイン語訳が先ごろ完了、バルセロナで配布が始まるところです(宮森さん他、バルセロナの方々のご尽力に感謝いたします)。
同時に、佐藤さんは英語の第3版、そして中国語版も執筆中。中国語も、ご自分でドラフトされたものを、はなそう基金会員で音読会ボランティア講師のHsinさんが添削しています。
同時に、佐藤さんは英語の第3版、そして中国語版も執筆中。中国語も、ご自分でドラフトされたものを、はなそう基金会員で音読会ボランティア講師のHsinさんが添削しています。
この日も、いつものように冊子の一部を1時間ほど音読しました。佐藤さんは、おそらくもう百回以上ご自身の冊子を音読していらっしゃると思います。初めてお会いした昨年12月に比して、英語力は大幅に上達を遂げておられます。「継続は力なり」ですね。
午前中は、佐藤さんを含め合計6名の参加者がありました。英字新聞、小説、被災地についての説明文・・・などなど、皆さんそれぞれの教材を一生懸命に音読しておられました。
この子は、小学4年生。まずは楽しく、興味を持った分野の単語を少しずつ覚えていくようにしています。
終了時に、「よーし。じゃあ、今日覚えたことをテストしちゃうぞ!」ということで、いくつか単語をチェックします。「キリンは?」と聞いたら、スラスラと「giraffe」と書きました。すごいなぁ!自分が小4の頃は、そんな単語は知りませんでしたよ。
もし陸前高田の多くの人々が英語学習に本気になったら、数年で世界が変わるのではないかと思いました。子供の潜在力は、本当にすごいですね。
土曜日の夜は、再びOさんの仮設住宅に皆で集まって食事。音読会講師以外に、現地の友人も数名合流して、にぎやかな夕食になりました。一周年を祝して、サプライズで花束などもいただきました。感激です!
日曜日、8時半の開始前に皆でチューリップの球根を100個植えました。
この土地は、津波で数十体のご遺体が流れ着いた場所でもあります。冬を除き、この土地にはいつも花がいっぱい。花には、鎮魂の意味も込められているのです。来年4月後半~5月上旬に、青空の下で咲くチューリップが楽しみです。
日曜の音読会は、午前中のみ。合計7名の参加者がありました。
「明日が試験」という高校3年生も・・・。
試験前の付け焼刃ではなく、あくまでも日ごろからの音読の継続が大事です。が、ここに来ることで少しでも試験にプラスになって、英語学習への気持ちが前向きになってくれたらいいなぁと思います。
試験、どうだったかなぁ。
11時半に教室は終了。後片付けをして、お昼過ぎに近隣の細根沢仮設住宅を訪問しました。音読会参加者もたくさん住んでいらっしゃる仮設住宅です。
この日は、仮設住宅の文化祭!集会所の中に手作りで色々な工夫をこらし、たくさんの展示物が出品されていました。
あっ、あの人の描いた油絵!
この一年、気づけば、なんと多くの新しい縁にめぐり合ったことでしょう。「また会いたい」と思い、「また来月ね!」と言ってお互いに手を振る人たちがここにいる限り、もうそれだけで往復1,100キロを走る理由は十分です。
「はなそう基金」にはミッションもビジョンもありますが、仮にそういうものがなかったとしても、やっぱり私はここに来ることでしょう。音読会の講師仲間もみんな、そんな風に思ってくれていると思います。
それでは、また来月!