八戸の津波のを撮影した現場から1kmちょっと先に私の実家がありました。
船が岸壁に押し出され、コンビニが浸水していくあの状況を見て、「うちもやばい」」と本当に覚悟しました。
ただ、両親も姉夫婦も、岩手の一関にいる兄家族も無事だと確認済みだったのでそれだけが救いだと思っていました。
眠れぬ夜を過ごし、仕事をして帰宅したところ
自分の家の書庫が大惨事
本の海で床上50cmです。
まだ片付ける気力が沸かないのでそのままです。
地元では避難所から姉家族の家に移った両親が、2日目夜遅くに電気が通ったことでTVを見て、被害の全体を知ることができ、「あきらと連絡取れたときなんであの子があんなに焦っていたのかようやく理解出来た」と言ってました。
避難所では、「TV中継はされるものの映されるばかりで何の情報もくれなかった」と話しています。
両親の趣味は登山で、今週末もどこかへ行く予定だったらしく荷物をフルセット装備してあったのでそれを担いで避難所へ行ったそうです。
父曰く「2日ぐらいなら電気もガスもないところでもやっていける。ただ水がなかったら致命的」
今回は電気がダメだっただけで水道は出たので大分精神的に楽だったとのこと。
八戸は都市ガスよりもプロパンガスの方が発展していますから、その辺もなんとかなったとのこと。
覚悟していた津波の被害は、我が家まではこなかったらしいのですが、津波の痕は我が家から海側へ100mのところで確認できたとのことなので、本当にギリギリだったことが伺えます。
電気が復旧してからじわじわと地元の友人達とも連絡がとれてきています
一人は旦那さんが勤め先の工場で津波に襲われたけどすんでのところで巻き込まれずにすんだとか・・・
被害に遭われた方へご冥福をお祈りいたします。
私は節電や、地元への情報提供など私ができることをしていこうと思います