最近忙しくて更新できてませんでしたううっ...


さて、以前取材した田中拓馬さん とコラボレーションもしていた詩人の井上優さんを取材してきました^^

この方です。



実はフリーランスのライターとしても執筆していて、今は詩や絵描きさんとコラボした絵本作りなどが主流だそうです。小説も手掛け始めていて、今は公募に送っている段階だとか。文字を媒体に広範囲で活動されています。


昨年は初詩集も出しています。詩人としては駆け出しですが多くの人の目に留まり、新聞や雑誌に書評が載りました。


初詩集 「生まれ来る 季節のために」


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井上さんが詩を書き始めたのは高校生の頃。幸福感に満たされたときにそれが言葉を通じて溢れ出したのが始まりだそうです。しかし大学時代はロンドンに留学しファインアートを学びました。美術を諦めた時に、高校の頃から書いてきた詩という表現方法へ心が再び傾いたといいます。


留学中にクリスチャンになったこともあり、井上さんの詩にはキリスト教的思想の要素が表れています。それは詩集の端々に出てくる「ミューズ」「アダム」「葡萄酒の血潮」などそうした思想を示唆する単語だけでもわかるでしょう。

当然ながら西洋では珍しいことではないのですが、日本詩人の作品ではキリスト教的な要素がここまで明快に見て取れる作品は珍しいと思います。

だからこそ目新しく、このことも井上さんの詩が最初から人々の目に留まった一因なのでしょう。


言葉とはご自身にとって何ですか?という問いに井上さんは「言葉とは神です」と答えました。

これは新約聖書のヨハネの福音書に出てくる「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」という節に基づいています。

言葉に神性を付随させる考えは私は初めて知ったので興味深かったです。私はクリスチャンではないので理解も半端ですが、キリスト教では「神」は「全能性」も意味しますし、きっと井上さんにとってはその一言だけで自分にとっての「言葉」というものを

表すには充分なのだろうと思いました。


井上さんの詩には様々な観点から作られたものがあります。その視点は歴史、科学、物理学、生物学、天文学など多岐に渡ります。普段することの少ない物事の捉え方に、読んでいて不意を突かれたり、新鮮な驚きがあります。


そして非常に隅々まで表現が綺麗です。流麗といった方が正しいかもしれません。

井上さん曰く、美には拘るけれども、日常的に意識しているので創作の際に「綺麗な言葉を創ろう」とは思わないそうです。井上さん自身がロマン主義 文学の影響を受けていることもあるでしょう。


井上さんは、ロマン主義の幻想的な部分というよりも、真・善・美を意識して人間の本質的な面を追及し表すことに重きを置いているといいます。

英語で言うheart,mind,soulを突き詰めて表現したいそうです。



現代詩は中身がなく抒情が感じられなくなっており、、もう一度ロマン主義その他の今は「古い」とされる形に回帰すべきではないか、という思いがあるそうです。

とはいえ、ただ戻るわけではなく、現代詩のプラスの効果は汲み取り、吸収し、自身に還元していくことで新しいものを作り出したい、と仰っていました。いうなれば「新ロマン主義」でありたいと。


この詩集の「ポスト・モダニズムの光と翳の中で」という作品にも、


「時代はいつも 叫び声を上げている


見た目に美しいものばかり


愛してはいけないと



美に 理解が必要とされているね


それが愛の初めというから


愛と美は分かち難いと 解っていながら」


と書かれています。ご自身の考えを凝縮した言葉のように感じられました。



お話を聞いていて面白かったのが、井上さんの詩の作り方です。

まず、詩を作る時はカフェに行きます。そしてゆっくりとお気に入りの詩集を読んでいると、インスピレーションが湧き、ノートに何ページも一気に作品を書くのだそうです。

詩人は日常のふとした時に浮かび上がってきた言葉を書き留める、というイメージがあったのでわざと環境作りをするのが意外でした。

充実感があるときに詩を作るスタンスは学生時代から変わっていません。


この初詩集に関しては、キリスト教的要素と明るい面から滲み出る影を書きだそうとしたそうです。

現在は新しい詩集の制作にも着手していて、次作はまた違ったスタイルのものを造る予定だとか。




2に続きます。