〜2014.3.2 のブログより加筆修正〜



幼少期、虐待とネグレクトの環境、、機能不全家族の中で育ち

同時進行で、小学校の6年間弱は集団無視されてきた
その経験が、私の人生を生き辛いものにしてきました。



私は母を反面教師として
自分の子供には 私が得る事が出来なかった親の愛情を
与えていきたいと思っていたし、家族の絆を自分の子供と築きたかった。
自分が親と出来なかった事をしたい願いがあった。



結婚してから2年経っても 子供になかなか恵まれず不妊治療を始めてみた
異常がない2人だったのに出来ない。
検査の繰り返し、治療の繰り返し、注射の繰り返し、、、
出来ない自分を責めた。出来ない自分はダメな人だと蔑んだ。
その頃、かなりナーバスになってしまって 偏頭痛が毎日続いて
排卵痛でお腹痛くて歩くのも苦痛な日が月の半分を占める事が続いて、



仕事を辞めた。
病院を辞めた。
しがみついていたものを手放すと

スペースができて入ってくると言うように

青天の霹靂で、授かることができたのかもしれません



今思えば、妊娠に対して執念みたいものがそこにはあったのね
妊娠にいいと知った情報は全てやってみた
風水、食事、アロマ、鍼、漢方、マッサージ、お灸、、
治療仲間みたいな人達が次々に妊婦になって
羨ましくて素直に喜べない自分にも
どんどんストレス溜まってちょっとおかしくなっていた。

 


それで、一旦、しばらく休憩とろうって思ってから授かりました。
きっとね、どっちでもいいんだって思えたからか
心身が緩んだんだと思います。


そうまでして、欲しかった子供でした。
産まれてからしばらくは、それはそれは、愛おしかった
天使だった
見てるだけで癒された


赤ちゃんの時期が終るくらいから 育児書を読み始めて、
いい子に育てたい!っていう気持ちがムクムク、、

平均の成長曲線なるものと息子を比較する
ん、、歩くのが遅い
男の子のくせに全然活発じゃない?!
食べてばっかり!!
お地蔵さまって言われるくらい大人しかった息子
1秒たりとも私から離れようとしない,,, 
他の男の子はずっと走り回ってるよ?

2歳違いの妹も産まれた
まだまだ甘えてくる長男(3歳にもなってないから当たり前だよね)

キラキラで素敵なママでいたいから、ママ友との付き合いでも無理ばかりして
時間も気持ちも余裕がなくなる
人の子と比べては出来ない所ばかりが目につく
その出来ないのは自分のしつけが出来ないからだと自分を責める
いつの間にか、いい子の意味が 自分の理想の子、自分に都合の良い子 になってた


この子、ぜんぜん 可愛くない


いつの間にか、そう思う様になってしまっていたの。
ぜんぜん可愛くないと思ってしまってる自分が嫌だった


小さな私が母に求めていたことを私は自分の子供にしたかった
いつも一緒にいてくれて
いつも笑ってくれて
いつも遊んであげたかった


どうしてもそれが出来ない自分が嫌だった
やりたくでも  どうやればいいのかが分からなかった


「親からしてもらってこなかった事を自分の子供に出来るわけないよ。」

そう教えてもらうまで、優しく愛情深く出来ない自分をダメで最低な母親だと思ってた


例えば子供が転んでも
あのママみたいに 優しい言葉をかけられない
あのママみたいに ニッコリして 痛かったね~って言ってあげられない

もう泣かない!うるさいでしょ!
泣くの止めないと○◯するよ!
怒ってしまうし、怒鳴ってしまう


手をあげたら最後だって思ってた

どんなに怒っていてもそのことはいつも念頭にあった
それは、たった1度でも しょうがないで 体罰を許したら止まらなくなりそうだったから。
体罰という名の虐待は私の番で食い止めたかった。
それでも、やっぱりお尻叩いたりしちゃった事もあって
大きな声で怒鳴った事もあった
でもその後は決まって自分の事を際限なく責めてしまう


どんどん どんどん そんな自分の事嫌いになった
今思うと、同時に
どんどん息子の事を嫌いだと思うようになっていた


そしてね、、それを見ない様にしてきた


一生懸命 いいママになろうとしたし
一生懸命 優しいママであろうとしたし
なのに、現実には 出来ない私 がいつもそこにいた

 



苦しかったなぁ

ものすごく辛かったのに、

自分の子供を可愛くないなんて 誰にも言えるわけなかった



 

それでも、寝顔で癒された

天使のように可愛い寝顔の息子
寝顔を見ながら泣いて謝ってたなぁ

 


ごめんね、本当は とっても愛してるのに


ずっとね、自分が苦しかった 自分がしんどかったと思ってた
息子が6歳の時まで


6歳になった息子は 
すごい勇気を出したと思う、、私にこう言ったの


「ママは ぼくのこと きらいなんでしょう?
 妹のほうが好きでしょう?
   ボクには いつも 笑ってくれない 」



ショックだった
信じられなかった


私、自分のことばっかりだった

反面教師にしてきた子育てのつもりが

私と同じ思いをさせてしまったんだとハッキリと突きつけられた

 

それから
前に1度諦めたけど、自分と向き合う作業を再開した
だってもう明らかに自分の問題だって 分かっていたんだから。



ヒーラーさんに通ったり
インナーチャイルドワークしたり
本を読んで
ブログを読んで、、、
これまた良さそうなもの 何でもやりました


しばらくは 良い関係になるけど
また戻るんですよね、、、


行ったり来たり、そんな経過を経て
2012年の年末に 出会ったのが
のちに心理学を学ぶ心屋仁之助さんの本「奇跡の言葉


この出会いから、全てがガラリと変わっていきました
考え方が ものの見方が変わって
色んなものが 不思議なくらいに繋がっていったんです



蓋をしていた気持ちを
拗ねていた気持ちを
ちゃんと気付いて 言葉にして言ってみた
本当によく泣きました^^;


*私は寂しかった

*私をちゃんと見てて欲しかった

*一緒に笑って欲しかった

 


見ない様にしてきた 本音と向き合って それを言葉にしてみて
そうしたら 段々と見えてきたもの


本当は、、、

両親に大切にされてきたこと 愛されてたこと
親なりの愛し方をしてくれていたこと
私は私の求める愛の形でしか認めてこなかったこと

私は 存在しているだけで 親をとても幸せにしていたこと

「ない」ばかり見てきて 「ある」を見過ごしていたこと

今まで経験した全てのことは  何一つ無駄じゃなく
今、ココ に繋がってること


あー、、私はこの人生で良かったなー って初めて思えた。

息子に言われたあの日から もう7年位が経っていました。

そうしたらね、息子の事が 愛おしくてたまらなくなりました


やっぱり「息子 」は 「わたし 」でした


ママに見て欲しくて 一緒に居たくて 笑って欲しくて
一生懸命にがんばってた姿が 顔色を伺っている姿が

小さい頃の自分と重ねていた
 私はそんな小さな頃の自分が大嫌いだったし、許せなかった、、んだよね。


うちにやってきてくれた子供達は

私にこの他にも 沢山の気付きをくれました

拗ねていた自分を 客観的に見れて

抱えてきた気持ちをキチンと感じてあげて 

過去の私とやっとサヨナラ出来ました

そして、

 

今は両親にとても愛されていると感じているし感謝しかなくて

 

とっても仲良しです

 




子供を可愛く思えなくて

そんな母親なんて失格だと 最低だと 苦しんでたけれど

それは

自分を愛する事を 後回しにしてしまったから、、なんだよね。



自分の内側が膨らんで丸くなってきたら

外側もいつのまにか 膨らんで 丸く大きくなっていっていました らぶ②きらきら



そこに「ある」形を受け取っていく事って 愛を循環させる事なんだなーと

 

心からそう思います。