もういつぶりかを振り返ることもせず、久しぶりに書きたくなったので今、この瞬間に出てくるものをここに書き置いてみます。
2010年にラサタを立ち上げて12年超。
「この子と一緒に最高の時間を共にしたい。一緒に成長していきたい」そんなことを思わせてくれた、当時生後半年ほどだった長男が先日13歳になった。
「あっという間」と言ってしまえばそれまでだけど、いやいや、その時そのときの色々がありまくった。
仕事の合間に一緒に体操クラスに出たり、リトミックをしたり、その45分に息子と周りのお子さんたちの成長をみんなでよろこび合う日々。お膝の上にいた子がハイハイできるようになったり、気づけば鏡を支えに伝い歩きをし始めたり、歩き出した!うちの子はまだ。。。周りの子と比べてはいけないって言われても気になる成長の具合。
あの子はもうあれが出来るらしい、うちの子はまだ。。。
うちの子はまだXヶ月なのに、こんなことが出来る。
とかとか。
思った思った。比べてたわ。人間だもの。
そんな時期を経て、幼稚園に通うようになった彼がラサタで過ごす時間が減り、でもいいタイミングで次男が生まれてまた振出しに戻る。そんなことを三男まで繰り返してきた。
その三男も年中になって、ラサタでの過ごし方も当然変わった。
私の産後に、そしてわが子と過ごす時間や共にする経験に、「こんな場所・コトがあれば理想」「こんな人たちが関わってくれたら最高」そんな思いを起点に企画運営をしてきた。それが社会の子どもを育てる環境にある閉塞感を打破するきっかけになればいいと心から願って。
そこには、業務委託やアルバイトという雇用形態でありながら10年以上に渡り力を貸して下さっている先生方を中心に、一緒にラサタをつくって下さった会員さんたち、色んなママたち、そして子どもたちの関わりがあった。
「子どもを育てるのって結構大変」
「一人じゃがんばれないときもある」
「私は母親に向いてないのかもしれない」
「子どもはかわいいし、好き。でも、なんかそれだけでは満たされない自分もいる」
みんなの心の内側に見え隠れする一見ネガティブっぽい思いを否定するのではなく、「あるある、そういうとき」「分かるよ、だって私たちだって人間だもの」って受け止め合う。
「いいお母さん」のあるべき論とか、子育ての正論をぶつけるのではなく、お母さんにとって、そして子どもたちにとって、幸せな選択肢を提供できるような仕事をしていたい。
経験しながら考えていけばいい。私という人間の「いいお母さん」のあり方を。
自分の内側にある思いや感情に自覚的にならずして、そのあり方は絶対に見つけられない。
正解もないし、与えられるものではないから。
そのあり方を見つけることで、自分で自分をより好きになれて、だから、自分の周りの人たちとの関係も良好になっていく。
他者との関係の質はいつだって自分起点である。
自分がいい状態であるから、自分の思考や行動の質がよくなり、それによって他者との関係の質が高まる。
結果、しあわせの循環が回る。
私が社会に届けたいのはこういう価値であって、ラサタを通してそんな仕事を実現したいと思ってきた。
いまそれが出来ていないもどかしさと、それを時代の変化のせいにしようとしている自分の不甲斐なさと、色んなものと葛藤している自分がいる。
夏休みがはじまる3連休中日。
わたしの自由研究のテーマがみつかった気がした。
こんなことを書き出してみたいと思ったきっかけは、今朝読んだこちらの記事
自分が化石になってないか。
しっかり向き合いたい。
ラサタきくち