塩狩峠 | 統一原理の生活化

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(知人のクリスチャンから聞いた話)

三浦綾子さんの所属する教会での信徒研修会の時のことです。

信徒の方々が聖書を一緒に読み、教えられたことを互いに分かち合う会でした。その日、初めてその教会に来られた一人のご老人が参加されていまた。

それぞれ自由に話し合う時間になると、そのご老人が長々と話し始めました。

三浦綾子さんは その会の責任者であったので、全体のバランスを考え「ちょっと待ってください。話し過ぎです、他の人にもチャンスを与えてください」とその方を制しました。

そのご老人は、何か三浦綾子さんに叱られたように感じ、牧師宛にこんな手紙を書かれました。

「この間の研修会は まことに不愉快でした。あの婦人(三浦綾子さん)は、一体何者ですか。私の意見にいちいち批判を加え、もしくは反対意見を述べました。もはやあの婦人と同席するのはご免こうむりたいと思います」

牧師はそれを三浦綾子さんに見せました。

ここで普通なら「何言っているのよ。こっちこそ、ご免こうむりたいわ」と言いたくなります。

しかし三浦綾子さんは、ただちに牧師に同行してもらってこの老人(藤原栄吉さん)の家にすっ飛んで行きました。

初めは家にも上げてもらえませんでしたが、幾度も平謝りに謝った果、藤原さんはようやく心を開いてくれたのです。

やっと部屋に通されて話をしていると、彼の机の上に原稿らしきものが、置いてあるのが見えました。

「それは何ですか?」とお聞きすると、藤原さんが実はあの「塩狩峠」の主人公、永野信夫さんの後輩で部下だったことがわかりました。

藤原さんは何とかこのすばらしい、話を世に伝えたいと自分なりに書こうとしていたのですが、筆が進まなかったのです。

そこで三浦綾子さんが「もし宜しければ それを私に書かせて頂きたいのですけれど」と言って 原稿や資料をいただきあの「塩狩峠」を書くことになったのです!

もし、あの時に気分を害して「何よ、そっちがその気なら私だて!」と腹を立てていたならば、あの「塩狩峠」は世に出なかったかもしれません。

しかし、彼女がへりくだって相手の利益を優先し、本当の意味で思いやりをもってその老人を訪ねたので、このような祝福のチャンスが訪れたのでした。

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この話を聞いて、塩狩峠、また観たくなった。
信仰のエキスが入っている。
キリスト教は柔和の謙遜が信仰姿勢。原理を知っていても謙遜な心を忘れてはいけない。