2月にKINバースデイプレゼント企画で

受け取ったプレゼントの1つには

ミッションが付いていた。

 

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「もちろん、やってもやらなくてもいいんだけど」

 

あらゆることは

その人の自由意志に委ねられている。

 

 

懐紙は何人の人に渡って行ったのだろう。

「これ、もう貰ったよ?」

という友人もいて。

どんだけわたしの世界は狭いんぢゃニコニコ

 

 

なぜかほぼ忘れず配れた。

 

 

最後はちょうど残っていた懐紙の数と

その日会う人の数がピッタリで、

ハカラレテイル

という感じがした。

 

 

 

さて、配り終わって

何かが変わったような氣はしなかった。

 

 

 

でも少し経った頃、

とても懐かしく妹のことを思い出した。

 

 

王女さまも何かをするたびに

妹が言ったことを思い出して、

あんなこと言われた、こんなことされた

と怒ることがなくなった

ということに氣付いた。

 

 

春の気配がしたからかもしれない。

亡くなってから10ヶ月ほど経ったからかもしれない。

懐紙を配り終えたからかもしれない。

 

 

 

 

60歳というのは

やはり節目の歳で、

やたら同窓会の話が来るものだ。

 

そのせいで

昔ある時期に妹と関わったけれど、

妹の死を知らされるほど仲良しじゃない人々に

訃報が拡がりやすく、

その波紋は緩やかに拡がり続ける。

 

ぽつりぽつりと電話が来る。

中には死んだことを知らずに架けてくる人もいる。

 

そのことにも心がざわつかなくなった。

 

 

そして散骨して本当に良かったと思えるようになった。

空や海に向かって妹を思ってくだされば

それで届きますので。

という返事は、心からのものになった。

 

 

 

妹の何にそれほど腹を立てていたのか

思い出せなくなってきたことは

心の平安のためにとてもありがたい。

 

 

思い出すのは

イギリスにいる妹を訪ねたときのことばかりだ。

 

ペブルビーチを一緒に歩いたこと

結婚式で「ふるさと」をハモったこと

リッチモンドで眺めたテムズ川

雪の日に歩いてガレットを食べにいったこと

 

 

すごくいっぱい喋った。

とっても楽しかった。

どれもいい思い出ばかりで

あんなに仲良しだったのに?と思う。

 

 

 

 

そう言えば、

訃報を聞いたと電話を架けて来た人の中には、

40年前大学で一緒だったというだけで

妹がイギリスに行ってたことも

帰って来てがんになったことも

何も知らない人もいてびっくりした。

 

40年前の過去の関りしかない人の実家に

電話してくるものなんだね。

 

 

ま、事前の連絡なにもなしに

ぴんぽーーんと大きな花かご抱えて

玄関に現れた人もいたけどニコニコ

その人はわたしも知ってる人で

そういうことをしそうな人なんだけどね。

 

 

自分が死んだ後のこういう顛末って

どこかから見られるものなのかしら。