娘が産まれたときに、
 両親や祖母の嬉しそうな顔、幸せそうな顔は
 今でも印象に残っています。
 それからも、娘を合わせるといつも笑いで溢れています。
 それを見て、僕の娘というのは、
 ただ存在しているだけで喜びを与えていると感じます。
 そう、ただ存在しているだけでです。

 海外旅行に連れていくとか、
 なにかをするよりも何倍も幸せを与えているのです。

 ただ、存在しているというだけでです。

 娘には、生まれて来てくれてありがとうと感じます。

 彼女が、仮にこれから成長してくれて
 何かをしてくれるとしたら嬉しいですが、
 すでに生まれてきてそこにいてくれる。
 それだけで、生涯の孝行を
 すでにしてもらったと感じています。

 ふと、自分に置き換えたときに、
 自分も同じように存在しているというだけで、
 喜んでくれる人が、娘と同じようにいるんだな、
 と感じました。

 僕らは、自覚していなくても、
 産まれた瞬間、なにをしてなくても、
 ただ存在しているだけで喜びと幸せを与えている
 ということなのです。(後略)』
堀内恭隆さんのfacebookへの投稿。


『あなたはただ存在しているだけで十分』
の意味って、
それを思い出せばよかったんだ。

わたしにも離れて暮らす息子が二人いますが、
彼らが生まれてくるとき、
何も条件は要らなかった。

男でも女でも
背が高かろうが、
頭が悪かろうが、
そんなことは何一つ必要なかった。

ただ、生まれてきてくれたことに
感謝だった。

くちゃくちゃの真っ赤な顔で
一生懸命なく姿が愛おしかった。

居るだけで幸せだった。

泣き声も
おむつのうんちも
おっぱいにかぶりつくさまも
すべてがオールオッケーだった。

わたし達って、そういう存在だった。


『立派なこととか、役に立つとか、
 褒められるとか、なくっても、
 とっくのとうにあなたの存在は
 誰かの喜びだったのですから。』