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強打者ロッキー・グラチアノの波乱の半生を描いたポール・ニューマンの出世作。
ニューヨークの貧民街、移民の子として生まれたロッキー。
(ポール・ニューマン)力で抑え込む父親ニック(三流ボクサーだった)への反発心からか、街の不良仲間とつるんでは窃盗、喧嘩などで街を荒らしていた。

逮捕されたロッキーは、少年院、感化院で脱走を繰り返し、とうとう刑務所に投獄。
出所後、軍隊に半ば強制的に入隊させられるが、ここでも規律を守れずやりたい放題。
挙げ句に大尉を殴り倒し、軍隊を抜け出してしまう。

刑務所で知り合いになったペッポという男に紹介されたジムを訪ねたロッキーは、スパーリングの相手を10ドルで請負が南米トップのライトヘビー級の選手を軽々とダウンさせてしまう。


ボクサーとしての腕を見込まれたロッキーはお金の為に試合に出るようになる。


食事もろくに取らず、お金の為だけにリングに立つロッキー 。

彼は、自分のせいで心労が重なり病気にまでなってしまった母親に少しの額でも仕送りをしたかったのだ。


父親はとっくの昔に息子を見放していたが、母親だけはいつもロッキーの事を気にかけていた。


女の目線で、この映画を観た時に、母親の息子を想う気持ちには、自然と感情移入され見入ってしまう。

同様に、後にロッキーが結婚し妻に迎えるノーマの献身的な支えにも感動させられる。


ゼール戦で初めてKO負けをしたロッキーに対し、動揺を隠し平静を装い、叱咤激励までする強い女性をピア・アンジェリが熱演している。


子供も授かり本格的にボクサーを目指すようになったロッキーだったが、ミドル級世界選手権を前に、彼の過去の前科を知るペッポが出所し八百長試合の話しを持ち掛けられる。


身体の故障を理由になんとか八百長試合を回避するが、疑惑の目を向けられたロッキーはボクシング協会からライセンスを剥奪され、ニューヨークでのゼール戦も取り消されてしまう。


結局、ロッキーの過去もシカゴの記事で暴露され、自暴自棄になるロッキー。

そんな中、シカゴでの対ゼール、ミドル級世界選手権の話しが舞い込む。


完全アウェイでの試合にすっかり怖じ気づくロッキー。


逃げるようにニューヨークへ戻ったロッキーは馴染みのベニー店に立ち寄った。

ロッキーの心中を察してか、昔のロッキーの仲間の悲惨な末路を喋り出す。

このシーンでのベニーの哲学論には深い物を感じた。

世間と俺の店は同じようなものだ。

クリームソーダーを
注文したら勘定を支払うのと同じように、悪いことをしたら勘定を払う。

払う覚悟が無ければソーダーは飲むな。


悪行のツケはきっちり払えという意味なのだろうか…
何だか分からないが、何だか良く解るのだ。


店を出た後ロッキーが向かった先は両親の家。

久しぶりに再会した父親は、相変わらずロッキーに対して無関心を装っている。


落ちぶれた父親の姿に自分の将来がダブったのか、ロッキーは本音を父親にぶつける。

強がりばかりで、本当は弱い人間だ!
頭の中ではまだ戦ってるつもりだろうが、一生勝てない!
どんなに酒を飲んでももう勝負は終わってるんだ!

意外にも泣き崩れる父親が不憫で、ロッキーはそんな父親に対して俺に何か出来る事があれば何でも言ってくれ、と尋ねると
父親は一言「チャンピオンになってくれ」

涙腺が緩んだ最も感動的なシーンだった。

ラストのゼールとの試合では、5ラウンドまではゼール優勢で顔面、ボディへの強烈なパンチの応酬。
とても白熱した試合展開に緊張感が高まる。

6ラウンドでは、息を吹き返したかのようなロッキーの攻めの猛打

ゼールはダウン。

ミドル級新世界チャンピオン ロッキー・グラジアノ誕生のシーンであった。


ロッキー・グラジアノになりきったポール・ニューマンの人間味溢れる演技の素晴らしさは、言うまでも無いが、それに加え仲間、親子、夫婦それぞれの関係性を実にリアルに丁寧に描写されていたのも良かった。


波乱万丈の人生だけを描いたシビアな内容に固執せず、人間性に含みを持たせる意味での笑いも随所にあり、それぞれの人物像に深い親近感を覚えました。

特筆すべきは、まだ駆け出しの頃のスティーブ・マックィーンが不良仲間の1人として出演しているのもお宝的にも貴重な作品ではないだろうか…

オープニングに流れるペリー・コモの「Somebody up there liKes me」の哀愁ある旋律は、この作品にピッタリでした。


大好きな映画です

監督 ロバート・ワイズ

1956年(アメリカ)