・インドネシア残留日本兵が叙勲 ~やっと日が当たった日本兵の英雄~ | アジアの真実

・インドネシア残留日本兵が叙勲 ~やっと日が当たった日本兵の英雄~

インドネシア残留日本兵、宮原永治さんに旭日単光章:朝日

 第2次大戦後、インドネシアに残って対オランダ独立戦争に参加した宮原永治さん(89)が29日、春の叙勲で旭日単光章を受ける。残留日本兵の互助組織の運営に携わってきたことが評価され、「こんな栄誉をもらえるとは夢にも思わなかった」と話す。

 宮原さんの現地名はウマル・ハルトノ。日本統治下の台湾で生まれ、従軍してフィリピンなどを転戦後、インドネシアで敗戦を迎えた。「台湾に戻ると、敵だった国民党に処刑されるかもしれない」と考えインドネシアに残留。約900人の日本兵とともに独立戦争に参加した。半数以上が戦死し、約300人が独立後のインドネシアに残った。

 その後、日本の商社で仕事を見つけたが、生活に困窮する戦友が続出。79年に情報交換と助け合いを目的に107人の元日本兵で「福祉友の会」を結成した。元日本兵は宮原さんを含め4人だけになったが、遺族らが会を支え、会報の発行などを続けている。

 福祉友の会で顧問を務める宮原さんは、インドネシア人の妻との間にできた三女とその夫との3人暮らし。「インドネシア人は裏表がなく、親しみやすい。国内には資源も多く、将来は立派な国になる」と信じている。


 大東亜戦争終了後、再びインドネシアを支配しようとするオランダ軍とインドネシアとの独立戦争に協力し、インドネシアの人々と共にオランダ軍と戦った多くの日本兵がいたことを知る日本人はどれくらいいるでしょうか。彼らがその戦いに身を投じた理由は様々です。記事にあるとおり、国に帰れば立場が危ういと思った人もいるでしょう。インドネシアで家族を持ち、第二の人生をそこで過ごすことを決意した者もいるでしょう。戦時中の日本が掲げていた”アジア解放”という使命感や責任感を感じた者もいたかもしれません。どんな理由にせよ、独立したばかりのインドネシアにとってみれば強大なオランダ軍に対して、彼らが勝利に対して多大な貢献をしたのは間違いありません。まともな武器さえなかったインドネシア人に、連合軍に摂取されるはずだった日本軍の小銃や重火器などの実に半数を確保したのも彼らの力でした。

 そして彼らはインドネシアでは英雄として称えられ、カリバタ国立英雄墓地にはこの戦いで戦死したインドネシア人と同じく手厚く埋葬されています。


 私は学校教育の場において、このようは話を聞いたことがありませんでした。既存マスコミで目にしたこともありません。当Blogでは過去に何回か取り上げたていますが、私もこの情報に最初に触れたのはネットの中の情報でした。この事実は、日本においては半ば闇に葬られていたのです。


「アジアでは残虐の限りを尽くしたはずの日本兵が良いことをしている」

「日本兵が現地で感謝されている」

「戦勝国のオランダを再び倒したのは日本兵だった」


確かに、こんな事実が広まったら都合が悪い人たちがたくさんいそうです。しかしながら、戦後64年も経った今、彼らの一人に日本より勲章が贈られました。64年も経った今、日本国はやっと彼らに日を当てたのです。遅くはありましたが、当事者の方がご存命のうちにこれが行われ良かったと思います。

 我々日本人は、このような事実を知らなくてはなりません。残念ながら現状では、教科書への記載や既存マスコミが大きく報道するということは望みが薄くはありますが、今回の日本政府の判断は小さな一歩ながらも大きく評価すべきであると思います。


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参考書籍

インドネシア残留元日本兵を訪ねて
長 洋弘
4784513302

サムライ、バリに殉ず――インドネシア独立戦争の英雄になった旧日本兵の記録
坂野 徳隆
4062145243


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