・星野ジャパンは侵略の象徴。日本人は反省せよ ~反日思想の典型的な破綻パターンを検証する~ | アジアの真実

・星野ジャパンは侵略の象徴。日本人は反省せよ ~反日思想の典型的な破綻パターンを検証する~

星野ジャパン人気に見る「偏狭ナショナリズム」という脅威
――メディアから視聴者、選手団まで「日の丸」に支配された北京五輪 谷口源太郎(スポーツジャーナリスト):ダイヤモンドオンライン

 63年目の8月15日を北京で迎える576人の日本選手団のなかで、かつて日本が植民地支配や侵略戦争で中国民衆に甚大な被害を与えたことを、反省を込めて想起するものがどれだけいるであろうか。

 JOC(日本オリンピック委員会)選手強化本部長で選手団長を務める福田富昭氏は、現地での記者会見で相変わらずメダル勘定しか発言しなかった。「金メダル2けた以上、総メダル数30個以上でアテネ(37個)を超える」と。選手団のトップがメダルしか頭になく、それ以外のことには思考停止の有様で、過去の歴史認識などまったくない。おそらく、選手団全体も同様ではなかろうか。


ナショナリズムの象徴星野仙一という存在
 現地入りする前にメディアから北京オリンピックについての抱負を聞かれた選手たちの多くが、「日の丸のためにメダルを目指して頑張る」と応えたのは印象的だった。とりわけ、テレビに出演する度に日の丸を徹底して強調した野球代表監督・星野仙一氏の存在が目立った。

星野氏は、プロ野球・中日ドラゴンズ監督時代、理論や論理ではなく暴力で選手を納得させる指揮官として知られた。また、日の丸の強調が象徴するように星野氏は、ナショナリズムに凝り固まった人物でもある。

 しかし、メディアは、そうした星野氏の本質的な資質を見ようとせず、「闘将」「熱血漢」などと偽称して持ち上げ、頼りがいのある指導者のイメージを作り上げてきた。そして、星野氏の理屈抜きで感情的に思いついたことをずばずばという語り口が、メディアによって思考力を奪われた視聴者に受けたといえよう。

 選手団のなかで存在感の大きい星野氏だけに、その偏狭なナショナリズムが野球ばかりでなく他の競技の選手にも影響を与えることを危惧せざるを得ない。


1つの詩が教えてくれる「日の丸」に隠された真実
「原爆詩人」として知られる栗原貞子さんの「旗」という作品の一部を紹介する。

 日の丸の赤は じんみんの血
 白地の白は じんみんの骨
 いくさのたびに
 骨と血の旗を押し立てて
 他国の女やこどもまで
 血を流させ 骨にした

 いくさが終わると
 平和の旗になり
 オリンピックにも
 アジア大会にも
 高く掲げられ
 競技に優勝するたびに
 君が代が吹奏される
 千万の血を吸い
 千万の骨をさらした
 犯罪の旗が
 おくめんもなくひるがえっている
   略
 日の丸の赤はじんみんの血
 白地はじんみんの骨
 日本人は忘れても
 アジアの人々は忘れはしない

 栗原さんは、この詩で「日の丸」を象徴とした侵略戦争によって2000万人ともいわれるアジアでの犠牲者をだしたこと、そればかりか戦後もそのことに対して謝罪も補償もしない、そうした日本のあり方を厳しく批判しているのだ。日の丸を誇ったり、日の丸のために頑張る、というような単純で薄っぺらな発想がいかに愚かで誤ったことか、この詩は教えてくれる。


国威発揚の手段にされる「メダル競争」 ナショナリズムを克服するには
 北京オリンピックには、205の国と地域から1万人以上の選手が参加する。そのなかには戦争や貧困、飢餓、それに宗教、人種差別などによってスポーツ活動もままならない国や地域の選手たちもいる。そうした選手たちは、メダル競争ではなく、世界から集まった選手と出会い、共に競技することにオリンピックの意義を見出すに違いない。憲章に唱われているように参加した選手たちが友情、連帯、相互理解という人間性を発揮することにこそ、オリンピックの普遍的な価値があるはずだ。(中略)

 しかし、実際にはナショナリズムに基づいた国威発揚の手段としてメダル競争がオリンピックを支配してしまい、選手の人間性は歪まされ壊されている。ナショナリズムを克服するにはどうすればいいのだろうか。

 ケーテ・コルヴィッツは、国際主義によってナショナリズムを克服することで戦争のない平和な世界をつくりだせると確信していた。国を超える国際主義の思想によってしか相互理解や連帯などの人間的価値は、実現できないといえるだろう。ナショナリズムに呪縛されて日の丸やメダルしか考えていない日本選手団にとって、あまりにも難しい課題だ。


 とてもおもしろい文章を見つけましたので掲載してみました。週刊ダイヤモンドのオンライン版ですが、よく掲載できたものだと思います。極左団体の自己満足用の内部機関紙でも最近はここまでひどい文章を書かないのではないでしょうか。普段でしたら紹介しないレベルのものですが、オリンピック期間中ということもあり、あえて紹介します。

 「日の丸の白は骨の色、赤は血の色」と、日の丸を徹底的に憎悪の象徴と詠った詩を引っ張り出してきて、”日の丸=悪”と定義付け、さらに星野監督を暴力で選手を屈服させる指揮官であり、ナショナリズムの象徴であると位置づけています。その上で、そんな指揮官の下で日の丸をかざし、メダルを目指す選手を侵略戦争を反省していないと批判し、さらにオリンピックはナショナリズムを誇示する場ではないとも批判しています。


 突っ込みどころが多すぎるので丁寧に一つずつ間違いを指摘するのは避けますが、自分の理論が大きな矛盾を抱え、破綻していることに筆者は気づいていないのでしょうか。オリンピックはナショナリズムを誇示する場所ではない。日本人は反省しろと結んでいますが、オリンピックでのナショナリズムを批判するのであれば、人権問題も環境問題も何もかもを封殺し、国家威信を世界に誇示することだけを目的としてこのオリンピックを開催している中国こそが最大に批判されるべき対象であることは誰の目から見ても明白です。なぜそこには触れないのでしょうか。おそらく、触れないのではなく、目的が日本を貶めることだけにあるため、気づいていないというのが正解なのだと思われます。

 日本が憎くてどうにかして貶めたいというのはわかりますが、それが先走るあまり、矛盾を抱え、主張が破綻してしまっているにも関わらず、本人含め同種の人はそれにすら気づかないという、反日団体にありがちな典型的な文章とパターンと言えるでしょう。


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参考書籍: 

反日マスコミの真実2 (OAK MOOK 193 撃論ムック)
西村 幸祐
4775511122

売国奴
黄 文雄/呉 善花/石 平
4828413871