・強制連行朝鮮人犠牲者名簿が完成 ~まだ続く幼稚な歴史捏造作業~ | アジアの真実

・強制連行朝鮮人犠牲者名簿が完成 ~まだ続く幼稚な歴史捏造作業~

強制連行の朝鮮人犠牲者名簿 初の全国版:神戸新聞

 兵庫県内の在日コリアンの学生らでつくる在日本朝鮮留学生同盟兵庫地方本部(神戸市中央区)は二十九日までに、戦中に朝鮮半島から日本に強制連行され、帰国できずに労働死した朝鮮人のうち、千五十九人分の名簿をまとめた。これまでは北海道、福岡県分の名簿しかなく、全国を網羅した名簿は初めて。韓国政府は「強制連行犠牲者」の遺骨返還を求めており、民間レベルで調査を進める朝鮮人強制連行真相調査団(本部・東京)は名簿を公開し、遺骨回収の手がかりにしてもらう。


 同本部は神戸大、関学大、甲南大などの学生約五十人が参加。うち十二人が九月以降、調査団の助言を受け、一九四〇年十一月から四二年十一月までに亡くなった全国の労働者六千二百一人を掲載した「殉職産業人名簿」から、氏名や出身地から朝鮮人とみられる名前を抽出した。

 これまで調査団が複数の資料から、炭坑などが多かった福岡県、北海道の犠牲者の名簿をまとめ、公開しているが、全国を網羅した名簿はなかった。

 名簿は今後、調査団がインターネット上で公開し、韓国・朝鮮の関係機関にも提供する。

 調査団の推計では、一九三九-四五年の間、百五十万人以上が強制連行・徴用され、終戦までに亡くなった「犠牲者」は四万六千人から十万人以上という。

 韓国政府は二〇〇四年末の日韓首脳会談で、遺骨返還を要請。日本政府はこれまでに自治体、企業、仏教団体から集めた約千七百人分の遺骨情報を韓国側に提供し、実地調査も行っている。

 調査団の洪祥進事務局長は「整理されている名簿はまだ一部。今後も作業への協力を呼び掛けたい」としている。

(森本尚樹)


◆朝鮮人死者日本人の3倍 戦中の名簿を基に算出す◆

 一九四二年当時、朝鮮人の労働人口における死者の比率が、日本人の三倍近くに上っていたことが、二十九日までに戦中の「殉職産業人名簿」を基に朝鮮人強制連行犠牲者名簿をまとめた在日本朝鮮留学生同盟兵庫地方本部による分析で明らかになった。同本部は「朝鮮人が死の危険性がある過酷で危険な労働を強いられたことを示す統計」と指摘している。


 「殉職産業人名簿」は戦時体制下に結成された労働組織「大日本産業報国会」が作成し、一九四〇年十一月から四二年十一月までの労働死者計六千二百一人分を収録している。うち、日本人は五千百四十二人、朝鮮人は千五十九人だった。

 同本部がこれらの数字と当時の労働人口との比率を算出したところ、四一年では朝鮮人の死亡率が日本人の約一・六倍、四二年は約二・八倍に上っていた。朝鮮人死者の雇用企業の八割近くが炭坑などの鉄鉱業で、ほかは土木・建築業、重工業などだった。(中略)

 作業にあたった神戸大農学部三年の李洪潤さん(20)は「犠牲者の遺骨回収に向けて、自分たちにもできることがたくさんある。全国の在日コリアンと意識を共有して、今後も活動を続けたい」と話している。(森本尚樹)


 
 明治43年の韓国併合以降、貧しい朝鮮から豊かな日本で一旗上げようとする労働者の日本本土への流入が激増しました。その為、一時日本政府は朝鮮からの労働者の流入を制限していました。しかしその間も密航による日本への渡航者は後を絶ちませんでした。そして太平洋戦争が始まり、国内の労働力が不足すると1939年から、民間企業が官公庁の許可を受け、「募集」の形で労働者を募る形が取られました。これは決して”強制”の類ではなく、1942年1月まで続きました。しかし、この間にも募集の他に自発的に日本に来た、または密航してきた朝鮮人は正規募集人数の3倍にものぼっています。


 そして1942年2月からはいよいよ労働力が不足し、”募集”の仕方は「官斡旋」に変わりました。これは民間企業が必要な労働力を官公庁に申請し、総督府が朝鮮の各地へ割り当てを行って労働力を募集するという形です。ここでは、応募しても朝鮮人の嫌がった炭坑などに割り当てられる可能性があるため集まりの悪い地域もあり、実際には一部で強引に募集をしたという日本人担当者の話も残っていますので、この時点で本人の意志に反する募集があったとも言えますが、決して”強制連行”などという形ではありませんでした。当然日本に渡った後は、賃金も与えられ、一般の労働者と同じ扱いを受けることになります。しかし、この期間に官斡旋で日本に渡った労働者のうち4割が逃亡し、自由労働者となって日本に残ったというデータが残っています。つまり官斡旋を利用して”合法的密航”をした者が大量にいたということです。


 そして1944年からは朝鮮にも国家総動員法による国民徴用令が適用されました。これにより徴用令状により朝鮮人を動員することになります。これには”強制力”があり、基本的に拒絶することはできませんでした。当時朝鮮は日本であったわけですから、徴用令に従うのは当然ですが、強制力がある募集があったのは1944年9月から1945年3月までの半年間のみです。ちなみに国民徴用令で徴用された朝鮮人労働者にも賃金は支払われていました。”強制連行”と言うと、嫌がる人たちを人狩りでもするかのように家から引きずり出して無理矢理船に乗せて奴隷のように働かせるというイメージがありますが、徴用に強制力はあったにせよ、そのようなイメージとはかけ離れています。(参考過去記事:在日韓国、朝鮮人問題への提言1 ~強制連行の真実~


 上記のような実態を知った後で、この神戸新聞の記事中にある文を読むと如何に何の知識もなく幼稚なことを行っているかがわかります。全国版の「朝鮮人強制連行犠牲者名簿」を初めてまとめたと意気込んでいますが、やったことは1940年11月から1942年11月までに亡くなった労働者名簿から朝鮮人の名前を全て拾っただけです。それを全て”強制連行”された人物だと何の検証もせずに断定しているところが凄いです。先に述べたとおり、この期間に強制力を伴う徴用は行われておらず、自発的、または密航により日本に渡った朝鮮人が大半を占める期間です。一人一人の渡航方法、目的を詳細に調査しなければ、1519人のうち何人が強制力をもって日本に徴用されたかなどわかるわけがないのです。こんなものは学術調査でもなんでもありません。いい加減”戦時中に日本にいた朝鮮人=強制連行された人”という間違った式はもはや通用しないことを覚えるべきです。


 韓国側が希望するのであれば、遺骨を返還するのは結構なことです。私はそれに何ら反対するつもりはありません。しかし史実をねじ曲げ、浅はかな知識で遺骨返還と歴史の捏造を絡めることは許されることではありません。



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参考書籍:
在日・強制連行の神話
鄭 大均
4166603841


日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か
西岡 力
4569643167