・日本の台湾統治時代の真実 ~歴史の真実を知るということ~ | アジアの真実

・日本の台湾統治時代の真実 ~歴史の真実を知るということ~

麻生発言に「強烈な憤慨」 中国外務省が非難:共同
 中国外務省の孔泉報道局長は5日、麻生太郎外相が4日に福岡市内の講演で日本の植民地支配下で台湾の教育水準が向上したなどと述べたことについて「公然と侵略を美化する言論に驚くとともに強烈な憤慨を表明する」と非難した。
 孔局長は、日清戦争後に日本が台湾占領を強行し「台湾住民を奴隷のような目に遭わせ、中華民族に深刻な災難をもたらしたのは世界中が知っている事実」と強調。「加害国の外交当局最高責任者がこのような言論を発表することは、歴史を歪曲し、中国人の感情を傷つけるものだ」と批判した。

 ”日本による台湾統治時代、教育水準が上がったなどという事実は存在せず、逆に日本は台湾人を奴隷のように扱い、搾取と殺戮を繰り返した。これは世界中が知っている事実である。” 中国外務省の孔泉報道局長の言葉ですが、本当でしょうか。もしかすると、真実を知らない日本人は、また日本の官僚が戦争を正当化してアジアの人々を傷つけたのか。と思う人がいるかもしれません。しかし、このニュースを読むには、我々が学校で習わなかった真実を知っておく必要があります。以下に、台湾人の実際の言葉をいくつか紹介します。当Blogで過去に紹介したものばかりですが、今回再掲します。
 
「靖国神社に昇殿参拝して」~ある高砂族(台湾原住民)の方の話(2002年)
高砂義勇伝より~ (参考文献:『還ってきた台湾人日本兵』
 きのう(4月3日)靖国神社に昇殿参拝して、今気持ちは非常に暖かい。私もおかげ さまで長生きし、一人前になりました。
 もしも明治天皇がいなければ、台湾は日本の植民地にはなりません。(しかし)学校教育 もありません。当時、清国が台湾にいたとき、学校はひとつもありません。 日本が台湾を五十年間植民地にしたが、その五十年間の正義(はあった)。多少なり 差別もあろうが、世界第一と数える(世界でもまれにみる発展をした)五十年、立派な 五十年。厳しい法律だが、法律守れば人民は豊かになれる。盗賊の心配もありません。 立派な政治だと思います。
 古い昔を思い出して、大陸と交わった(中国大陸から来た以前の国民党政権など)今の 台湾より、懐かしく日本時代を思って、(今でも日本と台湾は)いっしょになりたいと思って います。
 私は公学校六年を終えて社会に出ました。今NHK(衛星放送)で俳諧を研究しています。 八十(歳)をこえて唯一、日本の靖国神社に参拝した夜に、東京で作りました。
 繋ぎ断ち 日暮里(ひぼり)の島は 曇りけり

日本人はとても素敵だった―忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景』 より抜粋
 日本時代の台湾は、町全体が豊かで、特に台南はゆったりと時間が流れているようでした。よく町の孔子廟では、詩人や文人が詩を作ってお互いに交換しあって楽しんでいました。非常に安定した社会で、隣近所とは互いに信頼し合い、相互の信頼関係、人と人との絆が素晴らしかったのです。ですから、どこに行っても安心出来ました。それこそ枕を高くして寝ることが出来る世の中でした。

 昭和二十年の八月十五日、日本が第二次世界大戦、つまり大東亜戦争に敗れた年、私たちが住んでいる台湾は、今まで祖国と言ってきた日本国から切り離され、選択の余地無しに中国人にさせられてしまいました。君たちの祖国はこっちだよと言葉に蜜つけて侵入してきた外来政府は、実に天使の面を被った悪魔でした。国籍を失った台湾人は、それから中国人となり、そして中国籍になったその時から、悲惨を極める奈落の底に落とされ、イバラの道に追い込まれてしまいました。  外来政府は、謀反を起こしたという烙印を押し、四十年もの長い年月にわたり″戒厳令″という名目で殺戮を繰り返したのです。台湾全土の人民を震撼させたあの忌まわしい二・二八事件で殺された人の数は、当時の政府の圧力により報道されていません。学生、若者、医者、学識ある者、特に財産を有する者など、死者は三万人にも上ると言われていますが、確実な数字は今でも分からないそうです。因みに当時の台湾の人口は、六百万人でした・・・

 日本の台湾統治時代に、台湾内部でそれを快く思っていなかった人が、少数ながらもいたことはおそらく事実でしょう。しかし、中国統治時代にはなかった教育が広く行われ、様々なインフラが整備され、治安は安定し、台湾は豊かになった。多くの台湾人たちは、日本の統治を心から受け入れていました。自分が日本という国に所属していることを誇りとし、自ら日本軍の兵士に志願した者も少なくありませんでした(過去記事参照→アジア各国から見た太平洋戦争4(台湾))。これは、紛れもない事実なのです。我々日本人を長く蝕んだ自虐史観は、大東亜戦争中に行われたことは全て悪であると刷り込み、この時代の明るい部分を見ることを許しませんでした。大東亜戦争中に日本がアジア各地で行ったことは、現地の人を苦しめるところもあった反面、現地の生活・生産・教育などの発展に大きく寄与し、現地に歓迎され、また長く欧米の圧制に苦しんだ人々に希望を与え、後の独立などに大きな影響を与えたのは紛れもない事実です。歴史とは、そして真実とは、ある一部分だけを強調し、もう一方の部分をひた隠しにすることではありません。

 しかし、真実を知っていると、中国の孔泉報道局長の言葉は、なんと滑稽に聞こえることでしょうか。そして麻生大臣が、今まで間違った概念に苛まれ、語ることを許されなかった事実を堂々と語ってれたことに大きな賛意を送りたいと思います。
 真実を隠さなければいけない理由はどこにもありません。我々日本人は知る必要があります。
  
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参考書籍:
還ってきた台湾人日本兵
河崎 真澄
4166603086

日本人はとても素敵だった―忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景
楊 素秋
4795276897

帰らざる日本人―台湾人として世界史から見ても日本の台湾統治は政策として上々だったと思います
蔡 敏三
4434056263