Man U ホームスタジアム Old Trafford | Lancashire スローライフ

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なでしこジャパン、銀メダルでしたね~。
昨日の試合は、審判の判定でもしハンドのファール取れてれば、又、違った結果になってたかも・・・なんて思ったりしましたが、でもみんなよく頑張りました。
そして、今日の夜は、男子サッカー銅メダル争いですね。
男子にも是非、メダルを持ち帰ってもらいたいですね。

さて、私達が先日、観戦に行った準々決勝が行われたOld Traffordは、ご存知の通り、マンチェスターユナイテッド(マンU)のホームグランドです。



準々決勝試合観戦後に撮ったスタジアムの正面です。


この正面の像は、Sir Matt Busby 1945~1969年 マンUの監督を務めた人です。
この人が監督に就任直後から、好成績をあげ、毎年、優勝争いに加わり、1952年に自身初のリーグ優勝を成し遂げたが、1958年にミュンヘンの悲劇(飛行機事故)に遭い、自身も奇跡的に生存し、その後、チームを編成し直し、10年後の1968年マンUをCL優勝に導いた監督だそうです。
その年にCL優勝の功績を称えられ、Sirの称号を与えられました。


その正面の向かい側にあった3人の像は、元マンUのベスト選手達。
左から、Denis Law、George Best、Sir Bobby Charlton です。
このSir Bobby Charltonもミュンヘンの悲劇で生存した一人です。

ミュンヘンの悲劇とは・・・
1958年2月6日、ユーゴスラビアでCLの試合を終えたマンU選手達が乗った飛行機が、給油の為、ミュンヘンの空港に立ち寄りました。
当時、大寒波の影響で離陸を試みるが、離陸できず、3度目の離陸挑戦で、滑走路外の民家に激突し、飛行機が大破し、乗客44名のうち、23名が死亡。主力選手8名が死亡し、2名が再起不能になった悲劇の航空機事故です。



オールドトラフォードの1角には、ミュンヘンの悲劇の犠牲者を追悼する為にこんな記念碑が掲げられています。


この時計もミュンヘンの飛行機事故が起きた時間で止まっています。


こんな風にスタジアムの通路には、マンUの歴史が掲げられていました。

今回は、オリンピック開催地として使用したオールドトラフォード。
オリンピックでは、オリンピックのスポンサーしか広告表示できない事になっていて、普段の広告は、「London2012」と五輪マークのラベルで隠されていました



普段のマンUホームの試合の雰囲気とは、なんだか全然違ったので、少しだけ紹介しますね。
マンUホームの試合は、こんな感じです。




この試合は、2009年3月14日のプレミアLのマンU vs リヴァプールの試合をアウェイ席で観戦した時の写真です。
実は、この日は、アウェイのリヴァプールサポーターにとっては、大喜びの1-4でリヴァプールが勝利した時の試合だったんです。
こんな試合を見に行けた私はほんとにラッキーでした。
そして、ホームであるマンUサポは、もう最後まで見ていられず、試合終了前に続々と席を離れ、帰っていって、スタジアムガラガラになりました。
試合後、サポーター同士の喧嘩を避けるために、私達アウェイサポーターは30分位、スタジアムから出る事ができなかったのですが、そのおかげでこんな写真も撮れました。



先日の写真では、ちゃんと写らなかったMANCHESTER UNITEDの文字、くっきり見えますよね。




ゴール裏は、STRETFORD ENDと呼ばれています。

オールドトラフォードは試合のない日は、スタジアムツアーをやってるので、興味のある方は、ツアーに参加してみるのもいいかもしれないですね。