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昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

☆昭和40年代・50年代の魅惑の昭和歌謡を語る完全懐古趣味的ブログ

戦争は知らない カルメン・マキ

時には母のない子のように

 

 

天井桟敷の女優だったカルメン・マキのフォークソング

 

戦争は知らない 昭和44年(1969年)

野に咲く花の名前は 知らない

だけども 野に咲く花がすき

帽子にいっぱい 摘みゆけば

なぜか涙が 涙がでるの 

 

作詞・寺山修司

作曲・加藤博

 

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静かに、淡々と歌うカルメン・マキ

それがかえって、哀しさと反戦への気持ちを誘う

 

 

 

随分前に古本屋で買った「炎の中のアングラソング 反戦フォーク

必ずしも、アングラや反戦ソングばかりでなく掲載されています。

 

「戦争は知らない」載ってる

 

「昭和ブルース」載ってる

 

「死んだ男の残したものは」

 

「山谷ブルース」

 

本棚を少し整理していたら出てきた本

フツーのフォーク・ソングも載っているけど、

知らない歌が多数

気が向いた時に調べてみます。

 

 

寺山修司主催のアングラ劇団「天井桟敷」の女優だったカルメン・マキ

レコードデビューは、「時には母のない子のように

これが大ヒットとなりました。

 

 

美形で、アンニュイで、哀愁漂わせて歌う姿で、

なんと紅白歌合戦にも出場したのでした。

 

 

 

1970年代にロッカーになった時にはビックリでした。

なお、「戦争は知らない」は、ザ・フォーク・クルセダーズの代表曲でもあります。

 

 

 

 

 

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モンテカルロで乾杯 庄野真代

 

 

大ヒット「飛んでイスタンブール」に続く曲

連続ヒットとなりました。

 

モンテカルロで乾杯 昭和53年(1978年)

そして24時間 あの都会(まち)あとに
霧にしめった列車 ひとり降りた時
まさか待ってるなんて にくらしいひと
思いつめてる気持ち もろくターンさせるの
乾杯モンテカルロ 好きよあなたが楽園
シルクハットを月に飛ばして 明日は明日よ
踊ってモンテカルロ 熱いタンゴで夜通し
割れてしまえ 地球なんか恋は狂詩曲(ラプソディ)

 

作詞・ちあき哲也

作曲・筒美京平

 

 

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筒美京平が編曲も行っています。

さすが京平ワールド

超イントロドンでも、曲名が浮かびます。

 

「飛んでイスタンブール」以前には、「中央フリーウェイ」を出している。

ユーミンはシングルでは出してないの?

シングルは庄野真代盤が初??

 

 

 

 

 

この当時、ニューミュージックがグーンを登場してきた頃

紅白歌合戦で「ニューミュージックコーナー」が作られた。

 

しかも、一人ずつ紹介されてお辞儀をしたりして

庄野真代 VS ツイスト

サーカス VS さとう宗幸

渡辺真知子 VS 原田真二

 

昔は紅白対決していましたね

新聞に対決表が付いてきたし。

 

 

 

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さらばハイセイコー 増沢末夫

 

 

さらばハイセイコー 昭和50年(1975年)

誰のために 走るのか
何を求めて 走るのか
恋に別れが あるように
この日が来るのが恐かった
ありがとう友よ さらばハイセイコー

 

作詞:小坂巌

作曲:猪又公章

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異色のヒット曲でしたね。

歌う増沢末夫はハイセイコーに騎乗する騎手

ハイセイコーは輝かしい成績を残した競走馬

 

競馬をやらない人でもハイセイコーの名前は知っていたし、

アイドル的人気がありました。

そんなハイセイコーの引退記念盤として制作されたのでした。

 

なかなかの歌唱力

オリコン最高4位となりました。

 

その時の1位「私鉄沿線」野口五郎

2位「愛の迷い子」アグネス・チャン

3位「はじめての出来事」桜田淳子

この頃なんですね。

 

 

ハイセイコーが怪物と呼ばれ、活躍していたころ、

江川卓投手が、高校野球界で怪物と呼ばれていました。

 

 

歌謡界では、スター誕生出身の藤正樹「忍ぶ雨

演歌の怪物 ハイセイコー”のキャッチフレーズでした。

どういう意味だったのでしょうか?

 

 

 

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