「港町シャンソン」 原田信夫とザ・キャラクターズ | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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港町シャンソン 原田信夫とザ・キャラクターズ

しつこく今日も港町です。 「港町シャンソン」 ザ・キャラクターズ
1969年(昭和44年)の発売のムード歌謡です。
土曜日の夜、オリンピックの合間に、こんなのんびりした曲も宜しいかと。

 

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相変わらず昔の曲だし、小ヒットで終わったので、あまりご存じないかもしれません。
テレビで見た記憶もないし、ラジオでもそんなに流れていた訳でもないし。

けど、当時、これを聴いたときに、一発で気に入りました。
「港町シャンソン」ってタイトルで、シャンソンって良く知りませんので、
おおこれがシャンソンか~と思っていました。
今聴くと歌謡曲ですね。歌謡曲・流行歌好きにはたまらない曲です、こういうタイプ。

 

港町 今日も暮れて 恋がひとつ
ブイのかげ 花びらが すすり泣いてる
どこにもあるような 男と女
霧がふり涙ぐむ せつない別れ


「港町シャンソン」 ザ・キャラクターズ
http://www.youtube.com/watch?v=JAWyn-fpYR4
作詞・阿久悠 作曲・高見弘


この曲は阿久悠の初期の作品です。
阿久悠自身が、エッセイに書くところによると、
阿久悠が駆け出しの1967年に作詞した「朝まで待てない」がヒットしたものの、その後は2年間、鳴かず飛ばず。

すこし様子が変わってきたのは、1969年ズー・ニー・ヴー「白いサンゴ礁」と、この「港町シャンソン」が、オリコンの20位から25位の間を上下するようになって、阿久悠の詞も売れるという風が吹き始めたそうです。

で、それから「白い蝶のサンバ」「笑って許して」「真夏のあらし」「ざんげの値打ちもない」「また逢う日まで」と、ヒットが続くことになったのでした。

ですから、この曲はその後、幾多のヒットを出す阿久悠のキッカケとなった作品でした。
この曲の編曲は三木たかしなんです。
もう「夕月」なんかのヒット曲がある時期なのに、ちょっと意外です。


また、このキャラクターズの前身は「原田信夫とファイブキャラクターズ」といって、
1960年結成で、”歌って踊る日本初のグループ”だそうです。
う~ム、そうすると、ジャニーズよりも早いのか!?


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