『ドレミの歌』『学生時代』『爪』 歌手・ペギー葉山さん 誕生日 | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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12月9日 歌手・ペギー葉山の誕生日です。

マンボウ 時の川は流れる

高校在学中から、進駐軍でポップス、ジャズを歌う。
高校卒業後にキングレコードからレコードレビュー。

昭和34年(1959年)、『南国土佐を後にして』がミリオンセラーのヒットとなる。
日活で小林旭で同名の映画が作られています。

しかし、ポップス、ジャズを歌ってきたペギー葉山にとって、民謡調のこの歌を歌うことには抵抗があったようです。
NHK高知放送局の開局記念番組で歌ったことがきっかけであったことから、今では、高知は第二の故郷と公言しています。


昭和35年、渡米中のブロードウェーでミュージカル「サウンド・オブ・サイレンス」を観たペギー葉山は、劇中で子供たちが歌う『ドレミの歌』に感動し、ホテルに戻るとすぐに作詞にとりかかった。

最初は、「ミ」はミカンにしようかと思ったが、食べ物で固めてしまうのは避けて、みんなの「ミ」にしたそうです。


帰国後『ドレミの歌』は、自らがが歌ってレコード化され、NHK「みんなのうた」で全国に流れ、誰もが知る歌となった。

ところが、ペギー葉山はこの曲の著作権の手続きをしていなかったので、『ドレミの歌』ではレコードの売上げ以外に、収入に繋がるものはないそうです。


ペギー葉山の他の代表曲に、『学生時代』、『爪』があります。
共に、平岡 精二の作詞・作曲です。


『学生時代』を聴くと、女子学生でもないのに、センチメンタルになってしまいます。



『爪』 ペギー葉山のボーイフレンドであった平岡精二が、ペギー葉山が爪を噛むクセがあったことから、作った曲と言われています。
今では、スタンダード曲となり、ちょっとお洒落に歌う時に最適です。



ペギー葉山は、俳優・根上淳と1965年に結婚し、おしどり夫婦と言われましたが、根上淳は2005年に他界しました。


女性歌手