こんにちは! ピラティス ルシア kuniです(^^)

今日は、前回の記事「私は悪くない」の続きです。

前回は、自分の中にいる一部分の自分の成長のために病気になることもあるし、
嫌なことを言われたり、されたり、逆にしてしまったりなどがあると言いました。

今回は、そうでないケースについてお話します。
そうでないケースとは、「生まれる前にそうなることを決めてきている」です。
言わば宿命です。

この話は前世がある前提の話になるので、
ちょっとスピリチュアル要素が入ります。

そこで、僕について少しだけお話します。
僕がずっと心に引っかかってた言葉。

それは
「あなたのいいとこも、悪いとこも、人からは全部みえてるんよ。
それを自分が隠そう隠そうとするから。
周りから見えてるのに、
自分が見えないように隠すと、人はあなたに接しにくくなるねん。」
でした。

僕が、ずっと見せないように隠している自分?

…あごが長い自分?
いやいや、これは人から丸見えやん!(笑)

なんだろ?




そこでピンときたのが


「スピリチュアルな自分」

でした。

これを認めてこないように生きてきました。
「だって、そんな話しだしたら、頭が変だと思われるかも。」
「変な宗教に入ってると思われるのが嫌だ。」
「スピリチュアルな話をすることで、勘違いされたくない」

なんかが自分の中にありました。
それは自分の中に
「あの人霊感あるとかいってるけど、思い込みなだけちゃうん?」とか
「宗教に入っている人は、狂信的で周りがみえていない」とか
「あやしい世界。」とか
「科学的根拠がないじゃん」とかの思いがありました。
偏った見方をして、
偏見の目でみている自分がいました。
そういうことを言う人たちをうさんくさいと思っていました。


自分もそんな風に見られたくないと怖がっていました。

だから、

いろんなとこで霊能力者とかのなんかそういう能力ある人に会う度に、
「あなたの霊感すごいよ!」
「スピリチュアルな人よ」
「エネルギーがすごいよ」
など言われても、

「僕は、幽霊とかみえませんから!」
って否定してました(笑)


でも、たぶん自分が隠してるつもりでも、
周りの人たちは気づいていたんですね。

周りの人に実は…って話すと
「えっ、知ってるよ」
みたいな感じでした^^;



自分の中にある自分を否定すると、
生きにくくなるし、
他人も私に接しにくくなる。

これを実感しました。
だから、これからはスピリチュアルな話もしようと。
自分の中のそういう一面もちゃんと認めようと。
頭おかしいと思われてもいいし、
宗教入ってると思われてもいいと。
思っていることをちゃんという。
カラダとココロの関係性について深く説明しようとすると、
どうしてもこういう話は必要になってくるので。

でも、あくまで「私はこう思います」です。
一般的にとか、正しくはこうですって話じゃないです。
あくまで私目線。そんな感じで読んでください。


では、今日の本題。

そうでないケース。
「生まれる前にそうなることを決めてきている」
言わば宿命です。


宿命はさせられてるんじゃないです。
自分でそうすると決めて生まれてきている。

なぜ、こんなにいい人がこんな病気に。と思うケースなどです。
生き方や価値観の偏りからとは考えられない命に関わる大きな病気など。
特に赤ちゃんなどはそうです。
生まれてきて、すぐに生き方の偏りなんてないし、
価値観もできていません。
そんな子が重い障害や病気を背負っている。

この宿命として、病を選んで生まれてくる人は、
魂のレベルの高い人(レベルが高い、低いという言葉は好きじゃありませんが)だったり、魂の向上意欲の強い人、やる気に満ちている人です。

この世的には、損な(損じゃないけど)役割を持って生まれてきているように見えるけど、
自分の成長と、周囲の人の学びや成長のために、その役割を選んできている勇気があり、愛がある人たちです。
赤ちゃんや小さな子供の病や死は、
周りの人たちに学びを与える役割で生まれてきている。
悲しみ、つらさ、後悔、感謝、喜び、嬉しさ、怒り、嫉妬、劣等感、無力感…
多くの感情を周りに伝えてくれる。
人間からしたら、不幸な出来事にみえるけど、
魂にとっては学びの役にたっているという喜びがあります。
その子の周囲の人たちは、そこから学ぶことがすごくあるはずです。
決して、親は自分のせいでこうなったと思ってはいけない。
この子を不幸に産んだのは、私のせいなんて絶対思ってはいけない。

周りの人たちは、哀れんだり、かわいそうと思ったらいけない。
いや、かわいそうと思うのは仕方ないかもしれないし、
感じてしまうことは、必要なことなのでいいけど、
それで不幸になってはいけない。
感謝すること。
いろんなこと、いろんな感情を教えてくれたことに感謝する。
そして、周りの人たちが、
その出来事によって、より良い人生を送ることで、
病気や死の役割が達成されるんです。
魂レベルでみると助け合ってるんです。

それが、宿命として病を選んできている人です。
これは、避けられないです。

価値観の偏りとか関係ないです。


だからって、大人は病気にかかった時に、
これは宿命だってすぐに諦めるのは違います。
最後まで、価値観の偏りや執着心を捨てたときに、
それでも、変わらなかったら宿命かもしれません。

そして、死ぬことは悪いことじゃないです。
よくないのは、生きなかったことです。
自分の人生、本来生きようと思っていた人生を生きなかったとき、
人は後悔します。
病気は、本来の生き方を教えようとしてくれるだけです。後悔しないために。
だから、本当は病気にも感謝なんですね。

とはいっても、病気はつらいですから、
あえてなる必要はない。
宿命ではなく、自分の偏りでなる病気なら
避けれるものは避けたい!
と思いますよね。
僕は思います(笑)

だから、病気になる前に気づきましょう。
症状の軽いうちに、生き方や生活習慣を見直しましょう。
って話になります。

やるべきことは、知ってること。普通のことです。
特別なことは、な~んも必要ないです。

そして、それができないのもまた人間>_<
だから、僕も時々信頼できる人に相談したりして、
見直すようにしてます。

こんなこといってみても、
一人でやっていくような強いココロはないですから(笑)


ピラティス ルシア http://www.pilates-lucia.com/