白夜光(もう一つの覚え書き) | IN VINO VERITAS

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とあるヴァイオリン弾きの日々雑感

二日連続、違うピアニストで聴いた同じ曲。


全然違う。

…のは当たり前なのだが、根底に共通するものがあって。

この曲から受ける、ピアニストにとってのフィンランドのイメージというのは、こういうものなのか…と、感じていたのだけれど。


今日、決定的な言葉が飛び込んできた。


そのお二人は、「絵」を見ていない。


魁夷の「白夜光」を見ずに、あの曲を弾いたのだ。


それでも魁夷が受けた北欧の生命のエネルギーが伝わってくるというのがすごい。

静けさの内側にある強さ、激しさ…。

あの曲は、おそらく…いわゆるクラシックと言われる音楽のように、一音一音が譜面に書かれているわけではないと思われる。

なので、二人の奏者が全く同じ音を弾くことはない。

圭司さんと大さんが弾く音は全然違った。

けれど、書かれたものから読み取る核みたいなものは同じだった。


これが実は、今後クラシック音楽を演奏するにあたっての、大いなるヒントになったのです。


お前、何十年音楽勉強してんだよ!と言われそうだが、、譜面(曲)を読むということは、こういうことなのだ。
ということに、今さらながら気づかされた。

自分で作った曲を演奏する場合はまたちょっと違うけれども、クラシック音楽の場合、ほぼ100%「他人が作った曲」を演奏することになる。
しかもその作曲者は知り合いでもなければ、既に他界している人がほとんどである。

そんなわけで、今までは、根本的に彼らがやってる音楽とは違う…と思ってるところが、ちょっとあった。

が、同じなのだ。


同じ譜面を弾いても奏者によって個性は出るのは当然のこと。
それゆえに、曲の真髄というか、作曲者の描きたかった世界を読み取って弾くことがどれほど重要なことか…。


長い時間かけて研究する…ということに限らない。
譜面を見て音を出すときに、何を弾くか…だ。


もちろん頭ではわかっていたのだけれど。
譜面から向こう側の世界を読み取るという過程をちょっとなおざりにして、表面的な解釈だけで弾いた気になってやり過ごしてきた曲も、けっこうあったな…と。


反省。


圭司さん、大さん、素晴らしい演奏をありがとうございました。
そして領さん、いつも大切な何かに気づかせてくれて、ありがとうございます。