嫉妬妄想の話 | kyupinの日記 気が向けば更新

嫉妬妄想の話

一般に、幻聴などの幻覚より妄想の方が重篤である。これは自分の精神科医としての感覚だが、そう思わない精神科医もいるのではないかと思う。

まず、広い意味の幻聴は、音楽性の幻聴のように重篤度の低いものも含まれるし、疾患特異性がさほど高くない幻覚も多い。幻聴は何年続いていても突然、治療で消失することは稀ではないし、表面的な精神所見という印象がある。(幻聴はあまりにも簡単に消失し過ぎる)

一方、古典的妄想、例えば「僕は天皇陛下だ」などの誇大妄想は、一朝一夕で形成されるものではなく、なかなか改善するものではない。ただし、うつ病などで生じる二次妄想は病態依存性が高く重篤とは言い難いので、全てがそうと言うわけではない。

幻聴・幻視などの幻覚は何らかの脳の伝達物質の一時的不調でも容易に生じうるが、妄想はそうではないのである。

妄想は、ある意味、バベルの塔といえる。

バベルの塔は旧約聖書の「創世記」に出てくる神話的構造物だが、ここで自分が使った意味は古来から言われているものとは異なる。バベルの塔は、天に届くように建設されたが、結局は崩壊した。一方、精神疾患に出現する「妄想」を比喩したバベルの塔は、容易に崩れたりはしない。

古典的バベルの塔の意味は、空想的で実現不可能な計画を比喩しており、なんとなく相通じる点もあるので、そう記載したのである。また、妄想が形成されるまで、幻覚に比べかなり時間がかかるのも似ている。妄想はピラミッドのようなものだ。

嫉妬妄想は、漠然とした妄想の中にあって、一風変わった妄想だと思う。

嫉妬妄想は、統合失調症ではむしろ稀であり、何らかの器質性疾患で生じることが多い。例えば、アルコール依存症、パーキンソン症候群、レビー小体病、自閉性スぺクラム、妄想性障害などである。

よく言われるのはアルコール依存症であろう。アルコール依存症は器質性疾患なのか?という問題があるが、嫉妬妄想が出現するレベルでは、既に脳に深く障害が及び、それが主因と見なした方が合理的だ。一般にアルコール嗜癖で、振戦せん妄が出現するレベルは脳はかなり障害されている。

妄想性障害は、根本的に統合失調症的ではない。この差は大きい。内因性疾患でなければ、広い意味の症状性も含め器質性疾患の可能性が極めて高い。

嫉妬妄想は、配偶者ないし婚姻関係がない異性の同居人の不貞を疑うことが多く、確信している。妄想の重要な点は、その症状が訂正不能という特性である。

嫉妬妄想は当初、何らかのきっかけがあることがあり、よく病歴を聴取すると、なんとなく納得させられるというか合理性を帯びていることがある。これこそ、現実に即している内因性ぽくない所見だと考えられる。文脈にみられる合理性は、実は器質性から来る疾患性なのである。

しかし時間が経つと、次第に荒唐無稽の要素を孕んでくる。このようなこともあり、進行した状況だと、統合失調症ではないかと疑う人もいるかもしれない。しかし、顔(表情)を見る限り、あるいは個々の質問の応対、ドアを開け部屋を出入りする瞬間の様子などを総合すれば、統合失調症とは到底診断できない。

過去ログでは、妄想性障害では統合失調症的な社会的機能の欠落がほとんどないと記載している。つまり銀行に行きATMでお金を下ろす、振込をする、あるいは自宅で家事、育児をする、接客をするなど、その辺りの障害は全くみられない。しかし、高齢者に生じた場合、加齢から来る機能の障害が合併することがあるが、だからといって、統合失調症に近似することはない。それは、統合失調症は高齢者ではもはや発病しないことも重要である。

嫉妬妄想は、家庭内の配偶者との関係でみると、相対的に弱い立場の人に出現し、その逆はほとんどない。

アルコール依存症の男性は働けず、妻の収入に頼っていることが多い。また、パーキンソン症候群の場合も十分に動けず、日常生活で配偶者の介助を受けている。このような状況では、自分の元を配偶者が去る事態は、本人にとって死活問題と言える。そのような不安感、恐怖も巨大なバベルの塔の1つの煉瓦となり次第に積みあがっていくのである。

アルコール依存症やパーキンソン症候群の人は、相手に面倒を見てもらわないと生活できない状況にあり、その点では、相手をうまく利用して生き延びようと言う打算的心理も見え隠れする。

長期にわたり弱い立場にあった人の嫉妬妄想は、配偶者が例えば脳梗塞のために車椅子になったとしても、それを契機に嫉妬妄想が消失したりはしない。本人に問うと、今も「女がいる」などと訴える。いつも一緒に生活しているのにそんな風に言っているのである。

これはその人を長く診てきた精神科医には、かなり違和感がある光景である。その理由は、もはや浮気などできないことは、ひと目、明らかだからである。その女性は妄想性障害とはいえ、その程度の判断はできそうに見えるのもある。

そのようなことから、嫉妬妄想は、本質的に自己評価の低さも関与しているように思える。

おそらくだが、自閉性スペクトラムの人に生じる嫉妬妄想は、自己評価の低さが深く関与している。自閉性スペクトラムに限らないが、自己評価の低さは、ちょっとした事件で解消したりしない。長年かけて形成した妄想は、相手が車椅子になるなんて、大きな問題ではないのであろう。

嫉妬妄想は、ジプレキサなどの治療薬が奏功した場合、そのようなことを訴えなくはなるが、本質的に消失しているわけではないので、本人が滅多に言わなくなるだけである。

それでも、家族にとっては大変に助かる改善である。不毛なトラブルや喧嘩がなくなるからである。

これらのことを考えていくと、器質性の病態とはいえ家族関係のあり方も深く関与しているように見える。(そもそも、嫉妬妄想は単身生活者には出現しない)

同じように器質性であっても、進行麻痺の夫婦は純愛の関係に見えることが多い。これは嫉妬妄想の座がいかなる場所にあるかが窺われ、とても興味深い相違だと思っている。

参考
統合失調症っぽくない妄想
統合失調症の荒廃と器質性荒廃の相違点
内因性幻聴と器質性幻聴
器質性幻聴とカタプレス