悪くなったら自己責任で恨みませんから・・ | kyupinの日記 気が向けば更新

悪くなったら自己責任で恨みませんから・・

薬の総数が多かったり、あるいは本人が嫌がる薬が入っている場合、

薬を減らしてほしい。
悪くなったら自己責任で恨みませんから・・


と希望されることがある。別に副作用が出ておらず、はっきり効いているような薬でも名指しで止めたいと言われることさえある。

やはり希望に応じられるかどうかは、その薬の重要性による。普通、歴史のある薬ほどたくさんの数を飲まないといけない傾向がある。例えば、リーマスやデパケンR。近年の薬は剤型も考えてあるので、少ない数で済むことが多い(例えばジプレキサ、リフレックスなど)

例えば、1型の躁うつ病の人で過去に何度か大きな躁転があり、しかもその際に措置入院までしたような人はそうそう希望に応じられない。安易に中止して躁転し入院になるのも困るが、金銭的な大損失や、失職や離婚になる危険性も伴うからである。

また、患者さんと治療契約がある以上、本人の洞察が乏しいケースでは、プロなりに最善の指導をすべき道義的責任もある。

しかし・・服薬する現場に主治医がいるわけではない(外来の場合)。

本人が服用しないからと言うだけで、病状的に良い人を予防的に入院させることは困難だし、常識の範囲外である。なぜなら、いつ悪化するかもわからない上に、極端なことを言えば、生涯、悪化しない可能性もないわけではないから。(確率的に低いが・・)

だから、服薬するかどうかは外来の場合、結局は任意のものである。

これは精神科も内科も同じである。(通院するかどうかさえ任意。これは考えてみればすぐにわかる。)

本人が服薬しないようになったことがわかる場合は、家族に注意を促したり訪問看護をするなど方策があるが、服薬していないことが全くわからないこともある。(全ての患者さんが、これから薬を飲まないと宣言するわけではない。)

躁転が予想される場合、それを明確に阻止できる筋注の持続性気分安定化薬は存在しない。

かなり前だが、外来患者さんが病状悪化し、他害行為(殺人)を起こした際に、外来通院していた病院が被害者に訴えられ、しかも裁判に敗れた。これは現場の者には理解し難いことであった。

民事の場合、一見、不条理に見える判決も時々見る。それは被害者への配慮もあるのだろう。(金銭的に支払える人が病院しかいないため)。

しかし医療訴訟の保険は医師に何らかの過失がないと支払われないのである。(ドライバーに過失がない場合、自動車やバイクの任意保険が支払われないのと同じである。空から突然降って来た人をはねても保険は出ない。)

まとめ
悪くなったら自己責任で恨みませんから・・

というわけにもいかないから・・