昭和48年○月○日の記録 | kyupinの日記 気が向けば更新

昭和48年○月○日の記録

この間、古いカルテを調べていたら、ある患者さんの昭和48年○月○日の詳細を読む機会があった。その時、思ったこと。

こういう記録って、一般人にはないよなぁ・・

だってその日に、その人やその家族の人たちがどんな風に話していたのか、詳しく書かれているのに・・凄いリアリティ。

昭和48年にはまだ生まれていなかった人も多いだろうし。今年、昭和48年生まれの人は誕生日が来たら36歳になる。

僕は中学~高校にかけて膨大なカルテがあったはずだ。あの時の記録はもう廃棄されて存在しないんでしょうね。

カルテは普通5年間しか保存義務はない。しかし精神科、特に精神病院に限れば、その人が既に死亡している場合はともかく、ほぼ永遠に保存している病院の方が多いと思う。(廃棄しなければならないという義務はない)

10年くらい経って、障害年金の申請のために、その患者さんがやって来ることもある。(あるいは、他の病院から電話連絡があることもある)その時、

5年を過ぎているのでもうありません。

なんて到底いえない。こういう病院はかなり不親切だと思う(初診時の精神所見を書かねばならないため)。カルテを廃棄したために患者さんが不利益を被ることがあるので保存しておくのである。カルテは長くなると場所をとることはとるが、精神病院はクリニックなどに比べ遥かに広いということもある。廃棄した場合の損失の方が大きい。

その人が死亡しても、うちの病院に限れば普通、廃棄はしない。10年くらい経てば、廃棄してもかまわないかもしれないが・・

これは亡くなってから随分時間が経ち、生命保険の診断書を希望され家族が来院されることがごく稀にあるからである。そういう時に、カルテがないというのは困る。(死亡診断書なら概ね記録だけで良さそうだが、入院給付金の診断書を持って来る人がいるのである。嘘みたいな話だが)

こういう風に誰にも見られることもなく、カルテ庫の隅に埃をかぶっているカルテは全国に相当あるのかもしれない。

あんがい、そうでもなかったりして。死亡している人のカルテは廃棄する病院も多いような気がする。保存しておくメリットがほぼないからである。

大学病院の場合、カルテはほぼ永久に廃棄されないであろう。

ある教授のカルテなどは、まさにアートだからである。そのようなカルテは、その患者さんを知らなくても、鮮やかに映像を呼び起こすような詳細な記載がされていたりする。あれは大学医局の貴重な財産であり、廃棄するなんてありえない。というわけで、そういうカルテを廃棄しない以上、下っ端の医局員のカルテを廃棄して良いはずはない。そういうもんだ。

ところで、死亡患者さんのカルテが全く役に立たないかというと、ごく稀にだが、そうでもないのである。患者さんの両親のいずれかに入院歴がある場合など。そんな時、亡くなっている人にどのような所見があり、どのような薬物治療に反応したなどの記載は参考にはなる。今の患者さんの治療のヒントになることがあるのである。(ただ、親子で同じ病院にかかることも稀だが・・)

何年何月何日に何をしていたかは、今ならブログで日記をつけているような人はすぐにわかる。日記を若い頃からすっとつけているような人はまめだと思うが、ブログよりたぶん面倒なので珍しい。

かつて、僕のカルテ記録は内科なので、あまり具体的には書かれていないと思うが、自分がどんな風に言っていたのかちょっと興味がある。

それはそうと、

あの日の自分に、こう言ってやりたい。

と言うようなことってあると思わないか?