満月を見上げると、いつもウサギさんがいる | kyupinの日記 気が向けば更新

満月を見上げると、いつもウサギさんがいる

今日は満月に近い。今、ちょうど窓から綺麗に見えている。正確には昨日、5月9日が満月だったらしい。最近はそうでもないが、ずっと以前はいつも月の満ち欠けを注意していた。

満月や新月などの月の満ち欠けはヒトの心理や行動に影響すると言われている。まあ、その相関関係を注意して観察していたわけ。実際、交通事故や殺人事件の頻度などは、月の満ち欠けと関係があるらしい。

過去ログで精神症状と株価暴落が連動している人について触れているが、これとも関係があるのかもしれない。相場の世界では「新月に買い満月で売る」という諺もあるほどだ(たぶん商品相場の諺だと思う)。

満月を見ると、餅をつくウサギさんの影がいつも見えるので、いつも月は同じ顔を見せているのがわかる。ウサギさんがいないことなど1度もないからである。

太古の昔から人類は月の裏側がどうなっているのかわからなかった。最初に無人の宇宙船で月の裏側を撮影したのはソ連だったと思う。

月のように常に同じ顔を見せながら衛星軌道をとるのは、ある近い距離である場合に必然的に起こるらしい。地球の場合、いつも太陽に同じ顔を見せて公転はしていない。それだけ(影響がないだけの)距離があるのである。

惑星や衛星に生命が生じるためには、多くの奇跡的な条件を必要としている。

恒星では赤色矮星が最も多いので、太陽より小さな恒星がずっと多いことになる。一般に恒星は質量が小さくなるほど表面温度が低くなり、放つ光が赤みを帯び、暗くなる。また恒星の寿命が長くなると言われる。赤色矮星の寿命は、ビッグバンからの現在までの経過時間137億年より長いため、未だ寿命を終えた赤色矮星は存在しない。

赤色矮星は小さく暗く、放射エネルギーも小さいはずだが、惑星がある程度の近い距離を公転するケースでは、生命が生じうるらしい。

その惑星は赤色矮星の近い距離を公転していないと話にならないので、ちょうど地球と月のように同じ顔を見せて公転しているだろうと思われる。

だから、もしその惑星にひまわりが生えていれば、いつも同じ方角を向いたままで、地球のひまわりのように太陽を追うことはない。空を見上げればいつも同じ場所に巨大な赤色矮星が浮かんでいるはずだ。こんな風にSF的な風景を思い浮かべてしまう。

降り注ぐエネルギーは少なくても、いつも昼なので光合成の効率は良いと思われる。こういう平板な環境では、高等な生物が出現しそうにないのは地球の考え方に染まりすぎだろうか?と思ったりする。

月を眺めながら、そんな風に思ったのであった。