子供の頃の近所の女の子 | kyupinの日記 気が向けば更新

子供の頃の近所の女の子

僕がまだ小学校に上がる前、近所に女の子が住んでいた。距離は500mくらいだったと思う。後に彼女とは同じ小学校に通うことになり、偶然、同じクラスになった。

彼女が特別だったのは、当時ほとんどの子供が幼稚園か保育園に通って小学校に入学していたのに、彼女はそうではなかったこと。

僕は当時、漠然と幼稚園か保育園は実質、義務(教育)みたいなもので、理由なく休むなんて許されないものと思っていた。そんなこともあり、子供心に彼女がいきなり飛び級で小学校に入学したのは不思議なことだった。

いざ、同じクラス(1年3組)になると、彼女の席は僕のちょうど左斜め前になった。

当時、僕は彼女をとりわけ変だとは思っていなかったが、とにかく落ち着きがない子だなと思った。一時も座っておれないのである。授業中も立ったり座ったりしている。授業中も僕にいろいろ話しかけて来たり、先生の話を遮って何か言ったりしていたので、今だったら、他の児童の父兄から苦情が出たであろう。

当時の彼女を一言で言えば、落ち着きのない、お喋りな「おてんば娘」であった。

ある日、授業参観日があった。そんな日は、普通の子は粗相がないように緊張しているものだ。しかし、彼女は普段と全く変わらなかったのである。せわしなく立ったり座ったりしていると、母親のような人がやってきて、

ビンタ!

凄い音だった。というか僕の目の前だったので、ちょっとショックだったのである。彼女も一気に沈黙した。それほどの衝撃的な出来事であった。

家に帰った時、母親から更にショックなことを聞いた。そのビンタをした女性は、どうも彼女の母親ではなかったらしい。他人の子供に腹を立てて、ビンタまでした他の子の母親がいたのである。

今から考えると、彼女は間違いなくMBDであろう。今風に言えば、古典的ADHDである。僕が精神科医になった頃、まだ教授はMBDという診断を下していたので、当時はまだその診断で良かった。

MBD=微細脳障害(Minimal Brain Dysfunction)

このような精神科用語は寿命が短く、だんだん名前が変えられていく。それは次第に偏見が生じるというか、周囲の人たちの要請があるためだ。しかしキリがないといえばそういうものだと思う。

ADHDは状態像を指しているのに対し、MBDは直接に病因を表現しているので、むしろ診断的にはMBDの方が的確なものと感じる。ADHDは器質性疾患だからである。(映像的に見出せないだけ)

彼女は近所に住んでいたこともあり、たまに家に遊びに行ったこともあったし、またクラスでは席が近かったので、休み時間などの会話の断片的な記憶がある。

彼女は、先生から叱られたりするのを、実際以上にマイナスに感じていたのは僕にもわかった。なぜなら叱られた直後の愚痴をかなり聞かされていたからだ。彼女のネガティブ感情の生じやすさは、今から考えても少し特別だったように感じる。

僕がそう思う理由だが、彼女はそこまで他の児童に比べ叱られていたわけではないし、誉められていたことも時々あったからだ。(多動については担任は仕方がないと思っていたのか、そこまで注意をしなかった)

まだ僕が憶えているのは、彼女の描いた絵をクラス全員に見せて誉められていた場面。あと、担任の先生が彼女が保育園に行かなくても、ここまできれいに文章が書けるようになったとノートを開いて皆に見せていたのも記憶している。

この誉め方も大人の目からはどうかと思うが、普通、子供だけだとそれを変に思わない。

あの日、ビンタした女性はどんな人だったのだろう?

この話は非常に興味深いと、今、臨床をしていて感じる。

彼女のその後の消息は知らない。彼女は小学校2年生くらいに転校していったからである。