子供の学力の話 | kyupinの日記 気が向けば更新

子供の学力の話

うちには子供がいないので、このような話も好き勝手にできる。読者の方はそれを踏まえて読んでほしい。

子供の知能、学力はあんがい母親の素質と関係があるような気がしている。これは僕なりに根拠があり、ミトコンドリアが遺伝的に母親からしか受け継がれないことがポイントだと思う。(←もちろん真剣には言っていない)

ミトコンドリアはヒトにとって不思議な器官?で、進化の過程で他のところからやってきたのである。このような話は生化学の本を読むと、最初のところに出てくる。最初はまあ異物、寄生生物みたいなものだったのであろうが、その後ヒトと平和共存するようになった。やがて、ミトコンドリアはヒトにとって不可欠な役割を持つに至ったのである。(興味のある人はWikipediaで)

そういうこともあり、ミトコンドリアはその人とは異なる独自のDNAを持ち、そのDNA異常による遺伝疾患もいくつかある。このようなミトコンドリア異常の遺伝疾患は母親からしか受け継がれない。ミトコンドリアはATP産生にかかわっており、車で言えばガソリンにあたる。子供の知能は遺伝的には両親の合作であるが、これは車に例えるとまさにエンジンといえる。

劣悪なガソリンでは、いくら優れたエンジンでも走れない。父親に比べ子供の成績が悪い時、母親が子供を叱るのはちょっと間違っている。自分の胸ならぬ頭に手を当ててほしい。

たまに、バケモノみたいに頭の良い兄妹がいたりする。それも3人とか4人兄妹。医学部にいると、こういう家系にもたまに遭遇する。こういう人は良く見ていると、その子供も結構優秀だったりしている。奥さんの学力に全く無関係に。

これはきっと、いくら劣悪なガソリンでも関係ないほどの優れたスーパーエンジンが装備されているのであろう。

このようなケースの他の要因として「頭の良い形質」というか遺伝子が発現しやすいこともあるのだろう。例えば、サラブレッドのノーザンテースト系などは、「良く走る」という形質が表に出やすいという。おそらくノーザンテースト系では走れる遺伝子が優性遺伝のようになっているのだと思われる。一方、オグリキャップなどの血筋は条件が揃わないとうまく走らないらしい。これは良く走れる形質が表に出にくいのだ。こういうメカニズムもヒトの遺伝にあるような気がしている。

僕がこのようなことを書くと、実は競馬が好きなのではないかと思うかもしれない。僕は競馬はしないのである。たまにテレビでG1を見る程度だ。

知能が高い低いとは別に性格的なものも学力には関係している。例えば強迫的な人は超人的に頑張れる場合もあり、その結果、入学試験などで良い結果が出る傾向はある。またこれも性格なのだが、色々なものに興味を持つあまり、1つに集中できないことが学力にマイナスになる場合もある。いわゆる器用過ぎてモノにならないような感じである。

高校1年の秋頃、友人の家に遊びに行ったことがある。それまで彼は良く知らない人だったが、いつも校内では成績がほぼトップだったので、名前だけはよく知っていた。出身中学が違うので馴染みがなかったのである。ある友人(今は眼科医をしている)がアイツの家に一度遊びに行ってみたら良いなんて言っていたので、連れて行って貰ったのであった。

最初に感心したのは、彼の部屋にはドラムやエレキギターが置いてあったことである。当時、そういう感じの友人はいなかったからだ。とても田舎の家なので、ドラムを叩きまくっても苦情も来ないようであった。彼はわりあい多才なのに成績も良いのである。いろいろと話していると、それほど勉強には時間をかけていなかった。

僕は医学部に進みいろいろな人を見て来たが、彼ほど頭の良い奴をその後、目撃したことがない。

彼は東大理Ⅰに進んだが、理Ⅰもうちの大学の医学部も偏差値的には全く変わりがなかった。その意味だが、理Ⅰはとてつもなく合格者が多いので、合格最低ラインだとそれほどでもないのである。ただ医者になりたくなく、理Ⅰにどうしても行きたい人がいるため、理Ⅰの上位90人は理Ⅲと合格者の質は全然変わらないと当時でも言われていた(理Ⅲは医学部)。その友人も理ⅢはいつもB判定くらいであった。彼は、決してガリ勉タイプではなく、スマートに勉強していて成績も良かった。彼は2人兄弟の兄であり弟も東大を卒業している。彼は僕の結婚式の時、ロサンゼルスに住んでいたが、わざわざ帰国して出席してくれた。最近では2年位前に東京で会ったことがある。

理Ⅰと国立医学部がどちらが良いかといえば、これはたぶん人によって考え方が違うだろうが、僕は明らかに医学部が良いと思う。まず学問的な点では、理Ⅰは進振りがあり、希望の学部学科に行けない可能性があること。その点では東大はアフターサービスが良くない。まだ京都大学の方が希望学科の保証があるだけ良心的とは言えた。このあたりに、世界的な業績がしばしば京都大学から出ることと関係があるのかもしれない。つまりだ、心を込めて専攻したい学科に行けている方が学問に対するモチベーションが上がるということだろう。

もっと広い観点から見ると、僕のように高校時代病気ばかりしていた人は理Ⅰに行ってもどうにもこうにもならないリスクがある。僕が大学に入学した時、多浪の友人の関係から、他学部の4年生の知り合いが何人もいた。就職には健康かどうかがかなり重視されており、当時は調査も厳しかったのである。企業から見ると、どうせ学生を採るなら健康な方が良い。医療費は結局はかなりの部分を企業が出すことになるからである。また、企業活動の点で社員が長期休暇するのはやはりまずい。企業人事の計画が狂うからである。

ある友人の4年生は健康診断の前に、大量の水を飲んで行っていた。「なぜですか?」と聞くと、こういう風にすると蛋白尿が出ないんだそうだ。万一出てしまった場合は、またやり直しらしい。これにはみんなで大笑いだった。当時は企業にも就職前調査のモラルがなく、1年時に入っていた下宿屋さんにはしきりに会社から調査の電話がかかってきていた。下宿屋の住人の兄貴の就職先の会社が、弟の素行を調べているのである。そこまで調べることが意味があるのかどうかわからないが、思想的なものの調査も相当にあったような気がする。そういう人が入社してしまうと、容易にクビが切れない上に、後に労働組合の大物になる危険性もあるからである。

そのような苦労が医学部にはほとんどない。だいたい人間は健康で大学に入学したとしても、恒久的に健康かどうかはわからないのである。僕はメンタルヘルスの疾患になったが、医師だったために色々な面で助かっている人をたくさん知っている。

そういえば、面白い話を思い出した。競馬好きの作家が書いていたのだが、例えばメジロ牧場のような大所帯の牧場で育てられると、あまり人見知りしない馬に育つという(これは馬見知りか?)。

一方、例えば小さな牧場で育てられたサラブレッドはなかなか周囲の馬に慣れない。だから、実際のレースで馬群にもまれると精神的に消耗し実力が発揮できないと言う。そのような育てられ方をした馬は、最初から飛び出しそのまま逃げ切るか、最後尾を追走して、最終の直線、ごぼう抜きにして勝つしかない。

こういう話を聞くと、どうもヒトも同じように思えてしまう。自分の特性を生かしてなんとか成長していかないと仕方がないのは、人間も馬も同じだ。