霊感への憂鬱 | kyupinの日記 気が向けば更新

霊感への憂鬱

これは「患者さんの死と霊感」の続きである。

その後、僕は自分の身内ならともかく、患者さんからまでいろいろ影響されるのはこりごりだと思うようになった。持て余すようになったのである。実際、医療にも全く役にたっていないし、自分自身の健康も危うい。そういう風に霊感を疎ましく思っているうちに30歳代後半から霊感の働きが弱くなってきたのである。僕はもうほとんどないくらいに弱くなっていると思っていたが、ある事件が立て続けに起こり、弱くはなっているが、全くないわけではないことがわかった。

ところで、患者さんの死の予知みたいなものは医師の一部に存在しているようである。このように患者さんの自殺の兆しを察知して患者を助けに行く話は、中井久夫氏ができたというのを聞いたことがある。彼は患者さんが自殺することを感じ取り病棟に駆けつけて救ったことが2回あるらしい。

このような患者さんの死の予知について、高名な精神科医にしたことがあった。彼はその能力をぜひ生かすべきだと言った。確かに工夫すれば、その能力を生かし患者さんの自殺する瞬間を止められそうな気もした。ところが、現在定期的にでかけて診察している病院の院長はもう少し違った考え方であった。それは「非常に恐ろしいことだ」という(Dr.○○)。彼の話によれば、同じような予知がうちの大学のかつての教授もできたらしい。その教授は神クラスの精神科医であったが、その話は聞いたことなかった。言われてみると、漠然と「怖いこと」なのかもしれないと思った。(ここで出てくるDr.○○は、うちの医局で歴代3人に入る天才)

そのうち、事件が起こるのである。このブログでもかつて少しだけ触れたが、親しい友人の家族の治療を頼まれたことが始まりであった。彼女は薬物治療歴が乏しかったので、最初は簡単にまとまるような感じがしていた。僕は楽観視していたのであるが、実はとてつもなく治療が難しかったのである。「面白いから診るというのでは体が持たない」から、

数ヶ月前、僕の友人の家族を治療する機会があった。初診時は簡単そうに見えたのだが、いざ治療するととてつもなく難しかった。なんとか薬物療法の範囲で寛解させて、かろうじて満足できる病状で退院させた。入院中いろいろなことがあり、普通の患者さんの5人分の労力を使った。あれなら自分の親戚の方が断然楽だと思った。退院後の経過はまあまあ良いようなので、面目は保てた。(この治療の際に、生まれて初めての体験をした。これはいつか紹介したい)

なにしろ僕の友人の依頼であるし、彼の家族でもあったので絶対失敗は許されない。別に他の患者さんと比べ優遇しているわけではないが、こういうことは本当に滅多にないことなので、心の持ちようが違う感じなのである。彼女の入院中はいつも神経が張り詰めていた。

ある日の夕方、もう家に帰ろうとしていた時間であったが、胸で何か走るような一連の不整脈を感じた。その瞬間、これは相当にヤバイと直感。すぐに病棟に走って行き、寸前のところで彼女を救ったのである。生まれて初めて霊感が役立った瞬間であった。

しかし・・

その直後から僕は体を壊し、酷い体調不良になってしまった。僕は診察に行っている病院の院長の言葉を思い出した。あれこそ「恐ろしいこと」なのかもしれないと思った。たぶん普通の医療で患者さんを救うのはかまわないのだが、ああいうありえない方法はダメなのだ。そんな風な気がした。

かつて予知して救い損なった人たちをもし救っていたなら、すべての人を救う前にたぶん僕は死んでいたと思う。それもとても悲惨な死に方で・・その時、なぜ僕がその日まで、そういう形で1人も救うことがなかったのかわかったような気がした。

(続く)

参考
霊感と生物学的変化の謎
患者さんの死と霊感
霊感への憂鬱
忘れられない光景
希死念慮という物質とトロペロンの謎
霊感への畏怖について(番外編)